綾瀬三社!北野神社(通称綾瀬天神)HP

   2004年はご遷座500年の北野神社だよ! 【最終更新日03/10/14 】
   
 
 

【アイサツです】

 足立区綾瀬地区には神社が三社あり。それが綾瀬三社!そのひとつが当北野神社(通称綾瀬天神)。来年(2004年)はご遷座500年を迎える。その北野神社のHPを開設。これが綾瀬天神だよ〜〜〜ん!(円丈)

【Index】
拝見!北野神社
北野神社ご案内
建立史と責任総代


  【写真:これが幻の喧嘩獅子だぞ〜〜〜っ】」




 北野神社ニュース


【2003年度版】


【平成15年10月だよ】

 盛大に北野神社秋祭、行われる・・10月4〜5日


 10月4日宵宮祭で翌5日に盛大に例祭が行われました。宵宮には、神社入り口付近に露天も出て夜遅くまで賑わいました。露天商は菊池一家のみなさんです。
  また神楽殿を舞台にカラオケ大会も開催され、町中祭り気分一色に盛り上がりました。皆さんお疲れ様でした。

鬼が笑いますが、来年は5百年記念大祭。よろしくお願いしま〜〜〜す。
 

 10月5日には所囃子連(代表、鈴木誠徳氏)が町中を何度も練り囃子し、神社祭礼の興行披露をしました。北野神社神輿会(代表、月舘辰一郎氏)の面々も御神輿を盛大に担ぎ上げて4町内を担ぎ巡り、年に一度の祭礼を盛り上げてくれました。御神輿の巡行では事故一つなく相済み、宮入り出来ました。御礼!


【囃子連、石橋 定夫氏ほかの皆さん】



 綾瀬小学校で北野神社に地域学習(町探検)


 8月吉日  地元、綾瀬小学校の地域学習の一環で、小学3年生の4組5組が北野神社を参拝し、撫で牛などの説明を受けたり、境内をいろいろと見学しているところ。
  神社近くには、3年生の年回りの女の子が不思議と数多く在住している。よくみると蛭田紀子ちゃんや音喜多舞子ちゃん、日下 幸ちゃんに増田さおりちゃんほかも来ていた。
  野中先生がいるので、皆ちょっとよそいきでおすまししている。

【綾瀬小学校3年生の地域学習で〜す】

 

 北野神社氏子、岡村忠明氏が氏子会で頑張る!!

  綾瀬2丁目地域、普賢寺住宅自治会の会長の重責も担う、氏子世話人の岡村忠明氏は、一念発起して、神社の氏子組織拡充のため、都営住宅の一戸一戸に案内書を送付して氏子会への新規加入を募る活動をされている。来年、御鎮座500周年でもあるので、という心配りのようにです。この度は17神社旅行会への初参加も果し、誠に立派ですねえ。
  岡村氏は、氏子会入会が、子供たちのためには郷土愛を育てることが一番という信念の元、頑張ってます。祭礼の時の夜店に出かけたり、参殿参拝がすることが、先々子供たちの良い想い出になります。神社役員一同、地域の人は、謹んで入会をお薦めします。

【注】・・「拝見!北野神社」の木造狐、水盤などを更新しました。






【平成15年7月だよ】

 綾瀬天神「喧嘩獅子」の古儀復興の準備始まる


  綾瀬北野神社は来年10月創建五百年を迎える。そのお祭りに戦後途絶えている喧嘩獅子の宮出しを企画している。50年前までは村中を練り、疫病退散を願った獅子頭は、現在神楽殿にひっそりと奉案されている。
  この古儀復興の担当者が、白井酒店で氏子総代の白井淨氏。まず宮出しに必要な、「煽り(アオリ)」の復元が重大事。そのアオリとは獅子舞で使う緑色の布を連想して頂きたい。獅子の瑞雲型の巻き毛が描かれ、しっぽも付いていたと古老がいう唐草模様の麻製の大布である。
  似た物が17神社の愛宕神社にあると唐松宮司に伺い、拝見し、現在これを参考にして旧儀に準じたアオリを製作中とのこと。 石橋総代長は「早いと思う位の今から準備してちょうど良くなる。どしどし進めるように。お金はいくらかかってもいいから2百年、3百年後の人たちが、"昔の人はいい物つくったなぁ"と言うようなアオリを作ろう」と実に頼もしい言葉ですね。 画像添付しています。
【これが昔のアオリ:右が白井氏と愛宕神社の平田伊三郎氏】



【平成15年7月だよ】

 個人奉納品 2題・・7月吉日

           
  【拝殿用扇風機2台・・総代長石橋清衛氏】

  【事務用長机2台・・副総代長宮田氏】




【平成15年5月だよ】

 5月15日は綾瀬天神で「獅子祭り」


 綾瀬北野神社では、例年5月の中日に疫病封じのお祭りが厳修される。古来、この日に病身の氏子が、平癒を願うとすっかり楽になると、今も口々に語り継がれている。「春の小祭(こまつり)」とも呼び、単に「しょうさい」と云えば氏子は判る。 戦前までは、金色の雌雄の獅子頭を担いで、村中を練り、疫病退散を願った。
  体調不良の人は、この日に参拝して回復を願い、さらに撫牛の所で自分の病んでいる同じ場所をさすって快方に向かうを念じている。 5月15日は北野神社に集合!

【神楽殿に勢揃いした葛西囃子北野神社保存会の皆さん】

 今この獅子頭は、神楽殿に奉斎されている。 この日に、その獅子頭を特別に開帳し、その前でお囃子を賑々しく演奏した後、葛西囃子北野神社保存会の面々が、飾り付けた車に乗り込み、氏子区域を囃して廻る形に変わっている。

【 トラックを飾り立てて保存会会長の鈴木誠徳氏】
 
【勢揃いした総代さんたち】

【15年4月だよ】 

 これが綾瀬2丁目のサクラの名所



 実に見事なさくら!これが綾瀬2丁目の名物サクラ。 当北野神社の神社門前の大きな屋敷が神社総代長の石橋清衛氏のお宅。そのお宅の桜。庭には桜が多く植えられていて個人所有の桜としては綾瀬随一!
  2丁目で知らない人はいないとまで言われている有名な桜樹群。敷地の南側と西側には、ソメイヨシノが植樹されており、通る人は、しばし見上げて、目を奪われてしまうこと請け合い。桜花爛漫散る頃合いには、子供たちが広手を差し上げて、遊んでいるところをよく見かけます。

【これが個人所有!スンゴイですね】
 


恒例 春の小祭(はるのこまつり)で賑わう
               ・・ 平成14年5月15日


  恒例の春の小祭。正式な読み方は、「はるのこまつり」、今では「しょうさい」で通っている。5月15日賑やかに挙行されました。本来は「 天下泰平・四海平治」が主な願意で、それに最近は「学業成就・町内安全」が加わりました。
  元々は個人の為の祭典ではなく、公の祈願という感じだった祭事です。時代の流れの流入は、昨今否めません。

  当日は葛西囃子北野神社保存会により、お囃子も披露され、村の鎮守の神様の、芽出度い村祭りという雰囲気に満ち満ちています。総代さんは揃い半てんを着て、神事に臨みます。
  鈴木成徳氏が司会(正式には「典儀」)をして祭典が厳粛に行なわれました。
【勢揃いした総代さんたち】
 

その1

 拝見!北野神社

氏子中の奉納品(幕末)
 2題、   1、奉納品  1基、氏子中より奉納。   奉納年  嘉永5年(1852)。現在は、旧物として拝殿東側に舗設。
  2、奉納品  


絶品!!
   奥社の寄木造り神キツネ
・・・伝文久2年(1862)6月

 奥社の白狐(木製)一対。神社改築記念として氏子中より奉納。 奉納年  伝・文久2年(1862)

(北野神社本殿内にて)


絶品!!
   手水石 1基
・・・嘉永5年(1852)

 この狛犬は普段見ることは出来ない。本殿の奥深くにしまわれている。高さ15cmほど大きさだが、前足の下には小獅子が彫られ、なかなかの出来。

  足立の神社で江戸期建立はかなり少なく、とても貴重な狛犬と言える。江戸石工の心意気が伝わってくるような狛犬だ。

(北野神社本殿内にて)

絶品!!
   小型江戸唐獅子
・・・天保6年(1835)6月

 
この狛犬は普段見ることは出来ない。本殿の奥深くにしまわれている。高さ15cmほど大きさだが、前足の下には小獅子が彫られ、なかなかの出来。

  足立の神社で江戸期建立はかなり少なく、とても貴重な狛犬と言える。江戸石工の心意気が伝わってくるような狛犬だ。

(北野神社本殿内にて)




珍しい!!
   石祠型庚申塔
・・・足立区有型民俗文化財
 【そもそも庚申塔とは?】
 
庚申とは十干の庚(かのえ)と十二支の申(さる)とが結びついた60日に一度巡って来る日や年のことを指す。庚申の日には三戸という虫が睡眠中に抜け出て天帝に罪過を告げるため寿命が縮むと言う説が中国の道教にあり、これが日本に伝わり信仰された。それを信仰する庚申講の人々によって造立された塔が庚申塔。
  庚申の夜には眠らずに守庚申に礼拝本尊や、宗教儀礼が組み込まれた庚申待が、室町時代の中期から行われるようになり、江戸時代に入ると一般的にも浸透し、各地に庚申講が結成され、供養のための庚申塔が多数されるようになった。庚申塔の形態、様式は多様であり、形態は一般に笠付型、駒型、舟型などいくつかに分類することが出来る。

  この庚申塔は石祠型といわれ、社殿の形を模したものである。右は元禄8年(1695)左は元禄13年(1700)の造立で、それぞれ「奉造立石之宮殿第六天 村中庚申供養」「庚申供養奉造立石宝殿一宇二世安楽処」とある。 昭和62年11月、足立区有型民俗文化財に登録された。
東京都足立区教育委員会

(珍しい宮殿型、流れ造りの庚申塔、元禄8年(1695)で区文化財指定)


世界初公開!!
   これが喧嘩獅子だ!
・・・江戸期造立

【喧嘩獅子ってな〜に?】
  この下の写真の獅子。ただの獅子頭に見えるがさにあらず。この獅子、まず口が開かない。その上、下の台に取り付けてある。ではどうやって使ったのか?実は下の台に担ぐための担ぎ棒を2本通す穴があり、それを神輿のように担いだ。しかも喧嘩をするように荒く担いだところから「喧嘩獅子」の名がついた。
 
当北野神社では神輿の代わりに担ぐ喧嘩獅子が1対ある。とても貴重な物で。かっては他の神社でも「喧嘩獅子」がありそうだが、唐松宮司氏によれば、足立区でこの喧嘩獅子があるのを確認してるのは、西宮神社に1対あるのみとか。

 

  祭りの時は長い担ぎ棒を2本いれ、16人で担いだとか、北野神社では昭和22年にこの「喧嘩獅子」を担いだのが最後で、その後50年は
神楽殿に静かに安置されている。来年、鎮座500年記念には50年ぶりにこの「喧嘩獅子」が復活すると言う噂もあり、なかなかの楽しみ。

 尚 詳しくは神社顧問、石出吉蔵氏著「足立史談会」第64号(昭和48年6月刊)にあり。なおうしろのハタキのようなものは担ぐ時に神輿のウチワのように使ったとか、
製作は江戸時代で昭和43年に塗り直しされた。78センチ四方の台の上に据付。

(喧嘩獅子一対:台の穴に担ぎ棒を通して担いだ)
【はるのこまつりの昔の別名】
 かつては「獅子祭り」という別称があり、金色の獅子頭を、村境まで繰り出した。竹棒の先(天)にお神札を挟んで、境界である川や道に、その元(地)を差し立てて帰りってきたが、御神札を挟み込む時に、竹の天地を間違えないようにすることに殊更気を配ったという。

 

ご利益ばなしその1
  「撫牛(なでうし)のいわれ」
 天神様と言えば良く梅が連想されますが、同時に天神様と牛とは古来数々の伝承から縁の深い関係があります。例えば天神様は牛年生まれで亡くなったのも牛年でした。九州に左遷せれ、その西下の途中、白牛に身を救われたこともありました。
  このように天神様と牛とは神秘的な御神縁があります。ですから牛は天神様のお使いとして篤く信仰されています。

  そして天神様を守り、人々を護ることから「神牛・隋牛」称えられ、そのお陰を横たわったおおらかな姿から頂こうと寝牛・座牛が造られるに至りました。 また天神様が亡くなられた時、悲しみのあまり牛が動かなくなり、その姿を写したものとも言われています。

(平成9年建立の撫牛)
 後年これを「撫牛(なでうし)・臥牛(がぎゅう)」と呼んで親しみを以って撫でるようになり、今では天神様を拝んだあとに立ち寄って、良い知恵を授けて頂こうと頭を触ったり、病んだところをさすっては傷みを取ってもらおうとするようになりました。

 




 北野神社ご案内〜っ!


 ご創建ご由緒

(拝殿は平成3年の建立)
 氏子さんたちの言い伝えによれば永正元年(1504)後柏原天皇の御代。足利11代将軍義澄の世であるとか。足立にあってかなり古い創建のようだ。来年(平成14年)は御鎮座500年記念大祭にあたる。

 
氏子区域は現綾瀬2、3、5・6丁目、東綾瀬1丁目で綾瀬2丁目は神社の鎮座地なので「宮元」と呼んだ り、また「郷(ごう)」とも呼ばれてました。東隣の北三谷地 区も郷と呼び出しましたので、区別する意味で「根郷(ねんご)」とも呼びました。その根郷地区も、東・南・西の3つのズシに分けられていま した。5・6丁目地区は「四町田(しちょうだ)」、あとは「宿(しゅく)」 といいました。


 恒例行事

1月 1日

歳旦祭(さいたんさい) 年頭に当たり天下平安と氏子の幸福を願う。
2月二ノ午日   初午祭 毎年数百人が集まり、盛大に豆まきが行われれる。
 5月15日    春祭り としごえのまつり。春の初めにあたって五穀豊穣と天下安泰を祈る。
10月第1土日  秋祭り 年二回行い、罪、穢れを払う儀式。
11月吉日 753祝祭 歳子供の健やかな成長と健康を感謝、祈念します。
12月28日 新神札授与 歳1年の穢れを払い、新しい年を迎えます。

 

 北野神社(通称綾瀬天神)ご案内
  
北野神社(通称綾瀬天神) 足立区綾瀬2-23-14(旧称 普賢寺町288)
御祭神 菅原道真公(すがわら の みちざね こう)
宇迦之御魂命(うかのみたまのかみ)
神社の神紋    梅鉢紋
境内末社  庚申社        八幡神社
TEL 03-3602-8765
交通機関 最寄り駅(営団千代田線 綾瀬駅 駅北口より、徒歩3分)

 

 北野神社地図

綾瀬駅進行方向先出口より、高架沿いに歩き、スーパーBIG-Aを右折、徒歩3分ほど。



 建立史と責任総代

 

 これが北野神社の建立年史
昭和36年(1961)   
小神輿・引き太鼓の新調     
昭和42年(1967)  
神輿庫の建設、狛犬・玉垣の建設
昭和43年(1968) 
由緒沿革碑の建立・神社、中の新調 (明治100年記念) 
昭和46年(1971)  
社務所の建設
昭和52年(1977)   本殿の建立
昭和54年(1979)  
神輿庫の建て増し・神社、大神輿の新調
昭和60年(1985) 
社号碑の建立(御鎮座480年記念)
平成3年(1991)    拝殿の建立・高張り提灯なども新調
平成4年(1992)   
社務所の建て増し
平成9年(1997)   随牛(撫牛)の建立

 神社施設の建立について
 時代時代の総代長を中心に、諸所建て増して参りまして、現在の威 容を誇るに至ったものですが、先代総代長の鳥塚優三氏、当代総代長・ 石橋清衛(きよえ)氏の絶大なるリーダーシップにより、昨今の隆盛を 見るになりましたのは、周知の認めるところでございます。 また、石出吉蔵氏や宮田稔氏といった、右腕・左腕となる、責任総代 の存在も抜きには考えられないものでもあります。しかしながら、やは り全会一致をみる氏子総代の協力は、何といっても頼もしい限りであり ます。


 神社責任総代

(敬称略)

責任総代長 石橋 清衛
責任総代   宮田  稔、鮭川 文豪、岡田 憲二、石黒 喜久枝



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