綾瀬稲荷神社HP

 綾瀬稲荷ニュ−ス2012

【平成二十四年七〜十月号】

その23:新・総代長は誰に?

この9月に氏子総代会の衆議一決、新総代長に大室康一氏が選出された。 

大室氏は総代長就任の挨拶文を全氏子に配布し、今後の抱負と400年記念事業の貫徹を力強く表明された。

昨年の大震災 の影響や昨今の経済状況下、ご負担をおかけして心苦しい限りですが、氏子の皆様の相変わりませぬご協力を、総代一同伏してお願い申し上げましてございます。
(神社総代会一同)

【画像:陰祭りで、うごなわれる氏子さんに、ご挨拶する大室・新総代長】



その22:円丈師匠の取材が、綾瀬稲荷で行われる


【画像: 円丈と狛犬を狙うカメラマンを逆にカメラで狙う円丈】

 円丈師匠の計らいで、綾瀬稲荷神社を新聞や雑誌、テレビ等の取材の場として、お使い頂くこと多々ある。9月14日には、読売新聞の取材があった。落語狛犬と一緒に写真を撮ったりした後、社務所に移動した。

「これからの人生」というテーマで、師匠の落語に対する姿勢や心構えの取材、さらには、狛犬に関心を寄せた経緯などのが話し合いがあった。

 掲載は、9月24日の朝刊21面。円丈師匠のお蔭で、綾瀬稲荷神社の名前も出ていた。ありがとうございます。このようにいろいろと宣伝して頂いていることもあり、昨今では足立区のパワースポット(3社寺のみの認定)に選ばれている。








その21:御神輿の修繕

 



【画像:神社神輿を修繕業者に引き渡し、お見送り前に世話人一同で撮影した記念写真


 神社の400年の記念大祭に際し、祭礼の華となるのは神社神輿。そのお色直しにあたり、修繕業者にこの度引き渡された。期間は一年半に渡る予定。
その際、五兵衛神輿保存会の金子会長 さんを始め、世話人の一同が集まり、搬出の奉仕とお見送りが17日にあった。新調・塗り直される神社神輿は、2年後の例大祭がそのお披露目となる。

小神輿は新調になる為、旧物は浄火に納められることとなるので、9月の神社の祭礼後に清祓が奉仕され、各神輿・諸道具一式にそれぞれ清め酒が神輿会から供えられた。トラックへの送り込みの時、天の涙雨を少し頂いた。天恩感謝。

 

その20:綾瀬稲荷神社・祭礼之図

 昨今各所で古き良き時代への回帰が叫ばれている。そして、その時代を実際に体感する 為の一助として、時代時代の記録写真なり記念写真がある。それを頼りに回顧展の開催な り、回顧録が作られたりもする。時は移り、人が替わっても、正しい筋の神社は、つぶれ ることは決してない。
当然ながら御鎮座当時の氏子中の想いとその精華の品が遺されてい
るものだ。変わらない物(本当に正しい物)を発見するところが「神社」であるといえる。
さて、添付の画像をご覧頂きたい。神社に残る戦前の祭礼写真である。現在の祭礼と云えば、 お神輿をすぐに連想するほど注目されているが、昔の花形は何と言っても、曳き車(花飾り の山車)であろう。綾瀬稲荷神社では、今も9月の祭礼に際して、花笠の山車を飾り付ける。
実際の運行はないそうだが、境内でその美しい姿を氏子中にご披露している。それとほぼ 同じものが、添付の画像に写り込んでいる。祭礼に携わった方ならすぐにお分りの事だろ う。これこそ、氏子の想いの連続性を具現していることに他ならない、動かぬ証拠と言え るものだろう。パワースポットに選出されるだけの何かが、やはり綾瀬稲荷にはあるのだ ろう。

宮司さんに伺うと、副総代長の大室康一さんが、綾瀬稲荷神社が足立区のパワースポ ット3社寺の中に選出されていることを見つけて、総代会で発表されてから、改めて地元で 評判を呼び、注目をあびているというお話だった。選ばれるに際し、落語狛犬もきっと一役 かっていたのに違いないと思っていると話されていた。



【画像: 昭和17年9月の祭礼風景。手古舞の娘さんや、狐顔にお化粧した童子らの後方に ほぼ現在と同型の花笠の山車が確かに写っている。まさに「伝統」だね】




その19:その6、8月に開催、フォトクラブあやせの写真展


 フォトクラブあやせ(会長・粟竹孝之 氏)の写真展といえば、綾瀬の秋の風物詩の一つという 位置を着々と築いて来ている感がある。

今年の秋には、毎回会場としているプルミエが、リニュ ーアルするにあたり、写真展の開催期日予定と内装工事が重複するため、前倒ししての夏の写真 展となった。

13名の会員が4枚づつ出品するというお話だ。自然風景物・桜物・花物・富士山 物に代表されるらしいが、どれも選りすぐりの逸品の秀作ばかりだ。

第九回目となった今回も、 2千人の来場者を一週間で集めたということだ。


【画像: 展示写真の一端を披露した作品リストの画像を許可を得て転載】


その18:円丈師匠の落語会に、連続で元・内掌典の谷朝子様がご来場

 私(円丈)の出る落語会に、谷様が6月の人形町での独演会に続き、8月の国立演芸場で開催された落語会にも、わざわざ足を運んで下された。ありがとうございます。独演会では、弟子のわん丈に行き帰りの送迎をしてもらった。
なんでも、谷様は大津市のご出身。わん丈も同じ大津の出だから、お供にはぴったりで、当の谷様にも、口演した落語共々お喜び頂けたようだった。
舞台では平常心を維持しようと努める訳だが、谷様がご来場されると少し緊張する。6月の独演会の舞台がお開きになった後の、高谷様のお話しでは、だいぶ耳が遠くなって私(円丈)の声が聞きづらいから、補聴器をつくるとおっしゃっていた。
そして、8月の独演会前に唐松宮司さんに伺ったところでは、ハイクラスのを作られたのだそうだが、その目的は私の落語をしっかり聞きたいからだというお話だった。

すごくうれしい。高谷様に伺うと歌を聞く時には音楽の演奏で大体の歌詞がわかるということだが、落語では聞こえないと笑えないそうだ。後日御礼を申上げたら、よく聞こえました、というお返事だった。(円)

【画像: 画像:楽屋(人形町または国立)で】



その17:綾瀬富士の山開き

 綾瀬稲荷神社では、7月1日をもって、末社・浅間神社の開山祭が行われる。足立区の有形 文化財である富士講箪笥やお身抜きを含む御三幅や三十一日之巻、御道具類一式も飾られる。

拝殿前には、諸種の奉納マネキが上げられて、山開きを祝っている。綾瀬稲荷神社の富士講は 「山包講」。今では、この山包講の元講としての位置づけだという。

山包という名称の由来は と云うと、講を起こした人物である、「包 市郎兵ヱ」の名前に起因するという宮司さんのお話 だった。

唐松さんは、「あやせ塾」という地元の歴史学講座で、富士講というテーマで、それを 信仰という見地から、地域の方々を前に講話をされるという。

【画像: 綾瀬稲荷神社所有の富士講箪笥の富士型。富士山のミニチュアであり、日輪・月輪、神使の猿も見ることが出来る】




その16:17神社旅行、無事上がり。ご参加御礼

 今年もバス11台を連ねて、総勢395名で、栃木県の古峰神社の研修参拝が開催 されました。事故なく無事に足立区に帰参出来たとのこと。なによりでございました。

伺うところでは、週間天気予報では、当日は雨。それが、2・3日前の予報では午後雨 とかわり、前日には夕方から雨となり、なんと当日は一日中天気に恵まれて、無事故で 納められたというお話だった。

 やはり綾瀬稲荷神社はパワースポットに選ばれただけの 事はあるね。参拝後のお直会は鬼怒川のアサヤホテルで執り行われ、温泉も頂き、まっ たりとした時を過ごして、懇親を更にいっそう深めたというお話でした。

ご参加の皆様、 お疲れ様でした。次回の17神社旅行は、再来年の26年3月に伊勢参拝です。ご承知おき願いあげます。

【画像: 第17回・古峰神社参拝旅行の一部始終をおさめたCDの画像(事務局保存品)】





【平成二十四年五・六月号】


その15:箜篌(くご)の奉納を受ける・・日本で5つしかない楽器

 

 綾瀬稲荷神社の創建四百年祭にあたり、予祝ということもあって、諸種の献納が本祭に 先立って予定されている。神社神輿の奉納は、この9月を以って準備に入るほどだ。
また、廃絶の運命をたどった23絃を有する竪琴状の楽器、「箜篌(くご)」の篤志奉納を頂くことが決まっている。

この箜篌という楽器は、奈良の正倉院の御物として、2張現存しているが、弾き方や楽譜は現存しないという。そして、この御物を文化庁が調査し、酒場鳳仙氏の製作により、奈良の大仏開眼1250年祭に際して、忠実に復元して、東大寺へ奉納された。この製作時、納める箜篌の試しにと作られた1張が、この度、綾瀬稲荷 神社にご到来となる。製作にあたった酒場氏の談では、御物の2張を含め日本に5張しかない逸品だとの由。すごいねぇ。

演奏楽器としては、25絃の箜篌が数張製作されているらしい。又、唐松宮司さんに伺うと、世阿弥の謡曲に、「笙笛琴箜篌孤雲乃外に充ち満ちて(ショオ チャク キン クゴ コウン 乃 ホカ 尓・・・)」と記されているとかで、弾き方とか調絃はと聞くと、弾き方は特別ないから、和琴の6絃の音に合わせ、箜篌の絃を各2づつ同音にして、菅掻一段ふうに演奏しようと考えているというお話だった。

よくわから ないが、何にしろ珍しい御品ということだけはわかった。神社では、私(円丈)が奉納 した『落語狛犬一対』以来の珍品の奉納だと語り合っているというお話だった。(円)

 

【画像: 綾瀬稲荷神社に献納された23絃張りの箜篌(くご)。 ハーブみたいな楽器なんだね。5張しかない貴重品】


その14:伝承の白狐の塗り替え奉仕

 綾瀬稲荷神社は別名、白狐稲荷と呼称されてきた。その関係で神社には木製のキツネ像が伝 わっている。その中に胡粉の剥落著しく、あまりにもおかわいそうという状態のものがあったのだそうだ。
そこで、宮司さんが私財を費やし、400年振りに塗り替えを奉仕された。御殿内の御品を先ず美しくするということから、記念事業を始めてこそ、一連の行事すべてをうまく進めることが出来る(ありがたいお稲荷さんの神慮を授かれる)というお話だった。それにしても画像を見るだけでも、すさまじいような尊気の神々しさが伝わってくるおキツネさんだ。

唐松さんによると、「お稲荷さんの単なる御使いのお狐さんという域を越え、400年の時を重ねてきているから、位の神狐の域に到達していらっしゃるのでは?
」と言うことだ。

御使いがこの域だから御祭神は推して知るべし、という感じだ。綾瀬稲荷神社恐るべし。拝伏。(円)

 
画像:この度塗り替えられた白い神狐(右座)。 この画像を通しても何かが伝わってくるねえ・・。】

 

その13:神社紋の統一

 綾瀬稲荷神社の四百年祭記念事業の一環として、この度、神社の紋である「稲荷紋」の統一 が添付の画像のようになされた。
これは、御神輿につける紋を検討する中で、諸種の紋型が使われれて来たが、四百年祭を機に統一してはどうかと神輿整備実行委員会(大室康一会長)と神輿会(金子 功 会長)とから提案の上程を受け、総代会も了承、その取りまとめを3つの会に籍を置く、増尾正治総代が受け持たれた。

この度、正式の版下が出来上り、神社の大前にその奉告が正式になされた。この版下の作成にあたり、責任総代の近藤利男氏の仲介で、その道のプロ、近藤平蔵さんに依頼し、美しく完成した。
作成費用をお支払する段で、奉納したい、というありがたいお申し出を頂きました。

 この場をお借りしまして、近藤平蔵様に神社総代会はじめ四百年記念事業各準備委員会からも厚く御礼を申上げ ましてございます。神社神紋・作成奉納者として、今後作成致します記念誌にもその名を記し、版下原版の保存と共に、長く御厚志を称え伝えて参りたいと存じます。



【画像: 四百年祭を期して、統一された稲荷紋】




その12:金子五兵衛家直






【画像:JR八高線にある金子駅。この辺りが綾瀬の金子姓の皆さんの御先祖様の出身地ということだ】

 綾瀬稲荷神社の四百年記念祭にあたり、神社では、創建に尽力された、最大の功労者・金子五兵衛家直の顕彰がなされている。 

 神社の准責任総代である金子浩基さんの大先祖で、「五兵衛さま」と現在でも称えられている。戦国時代の末、現在の埼玉県入間市金子の在から、当地に移り住んで新田開発にあたったと伝わる。

 その元を辿ると、歴史上にも名を残す、金子十郎家忠につながり、その父の金子六郎家範が村山姓から金子姓を名乗って独立したという歴史的な事実がある。

 村山氏は武蔵7党の一つだが、更にその村山姓を遡ると、平の姓を賜り皇族を離れた、望王の血脈だ。つまり、その三代前が、桓武天皇ということになる。

だから、綾瀬の金子姓の皆さんは、天皇家につながる人々という訳だね。このような次第で、村の開拓に際し、絶大なリーダーシップを発揮できたという。
そして、その子孫が今も神社に勤仕されているという事が、綾瀬に於いて歴史の連続性をまさに体現している。歴史が今も生きている。

すごいことだ。これを未来につなげようと、総代会が今から多岐に渡り、想いをめぐらせて、 四百年祭に臨むということだ。がんばってください。(円)

 

その11:神社総代会の総会

 綾瀬稲荷神社は、次節の大祭を、四百年記念大祭にしているということだ。総代長・鳥海和人氏を中心にして、大祭の実行委員長として推挙された副総代長・大室康一氏が陣頭指揮をしている。

5つの部会(責任総代が各長を務めている)で構成された実行委員会が適宜会議をかさねており、5月27日の総代会総会において、逐次進捗状況が発表されて、それぞれ承認を受けたという。

氏子の力を結集する為に、新規に総代さんを数人補任する事も決まっているとか。一方、金子 聰 氏がこの度退任されたことが報告された。

さて、唐松さんのお話では、四百年祭の先行準備に際して、現状、金子正直責任総代・増尾正治庶務総代が負担を多くかって出て下さり、尽力頂いているとのことは衆目の認めているところだといことだった。

やはり、率先して動く人はいろいろな場で必要ですよね。私(円丈)は、円生争奪落語会等、大体において、企画立案というプロデュースをし、諸事調整をこなし、チラシ作りも自分でパソコンで作り、舞台に出演し、納会の会場選び等々、何から何まで、みんな人に頼らずやってしまうが、やはり大変は大変だ。(円)
 

 

 

 
【平成二十四年四・五月号】

その10:17神社連絡会の総会



【画像:江戸一万来館で開催された17神社総会での懇親会(西ノ宮、蒲原神社のテーブル)の一コマ】

綾瀬稲荷神社のおひざもとの江戸一万来館において、去る5月15日に唐松宮司兄弟が管理されている17の神社の総会が、例年通り開催された。各地域の上役の方ばかりで、 江戸一へもよく足を運んでくださるお得意様ばかりということで、宮司さん達も江戸一の 従業員さんたちも気が張ったということだったらしい。お疲れ様でした。

今年の合同研修参拝旅行は、栃木県の古峰神社を予定しているということで、現在随時募集が行われている。どうぞふるってご参加下さい。

お申込みは各神社の窓口まで。各回400名を越える参加が集うということです。特に、西ノ宮と蒲原神社は、毎年バス2台を配車する程だということだ。

さて、来年はというと、伊勢神宮の第62回式年遷宮を記念して、平成25 ・26年の研修参拝を両年併せてのものとして、26年3月の伊勢参宮に既に決定しているそうだ。やはり、遷宮は外せないというお話だ。兎にも角にも、盛大でなによりですね。

その9:4月16日、狛犬祭

早いもので、2000年記念に狛犬一対を、綾瀬稲荷神社に奉納させて頂いてから12年が経った。神社さんでは、これまで毎年奉納日にお祝いの祭典をしてくれている。

ほんと、ありがたいことです。人は13回忌をもっておさめるから、今後13年間は神事を奉仕すると落語狛犬を奉納させて頂いた当時の総代長・大室徳三さんに建立時に言われた。宮司さんもその場にいたから、知っていることだが、来年がその13年目という訳だ。

アッという間に経年したが、落語狛犬を大切にして頂いていることに心から感謝しています。こないだ唐松さんに伺ったら、自分がここにいる限りは、ずっとお祭りはさせて頂きますと言って下さった。うれしい。(円)


【画像:これは正月の時の落語狛犬・・】

 

【平成二十四年ニ月号】

その8:恒例の節分・・今年はバケツ受けまで現れた・・

 今年も近隣の17神社の方々も招き、綾瀬稲荷神社の豆まきは、例年通り行われた。
ただ、今年はどうも 開始時間になっても人の集まりがやや悪い。
そこで少し開始時間を遅らしたら、いやいや、全く心配無用。例年通り大勢の人々が集まって来て、賑やかな豆まきが行われた。
この綾瀬稲荷神社は、おひねりもまかれる。ただ最近、不景気なせいか、拾う子たちがスゴイ真剣に拾っている。
例年は、ポリ袋や、紙袋を広げて、受ける子がいるが、今年はポリ・バケツでうける子まで現れた。これもご時世なんだろうね。(円)

【画像:この画面にはいないが、ポリバケツの子がいた】
<高谷さまも豆まき>


一方、撒く人には厄払いになるので、こちらも力が入る。


今年も 元・内掌典の谷様や、近隣の17神社の方々、私(円丈)も石定さんや共にご招待を受け、参加させて頂いてる。


怪我もなく納められ、結構な一日でした。(円)




【画像:いよいよこれから豆まき本番、その前に谷さまとツーショット!!】

 

その7:梅の植樹

【画像は、布が巻かれたのがその梅の木。右の竹で支柱されたのが、もう1本の若い梅】

 春の訪れの便りの一つに梅の開花がある。また、梅は、天神様の好木としても知られている。綾瀬稲荷神社には境内に摂社として、天満宮があり、「綾瀬稲荷神社の御利益噺し」その5に出てくる、梅の木があった。枯損した為、梅2本の植樹がこのほどなされたという。奉納者は、御利益噺で紹介した。

金子芳雄氏(故人)の息子さんで、神社総代の金子 功 氏。その移植された2本の梅の内の1本というのが、神社に最初に植えられていた梅と一緒に、江戸崎の梅林から持ってきた梅という。

なんとも縁のある話。個人宅では全く咲かなかったその梅の木に花がほころぶか、今から神社総代の話題になっているとか。 

 

その6:富士塚の鉄柵の塗り替え

 正月に際し、腐食が目に付きだしていた綾瀬富士の防護柵のペンキの塗り替えが施された。近藤利男責任総代の発案だとか。下塗りはねずみ色で、上塗りは黒。


仕上げも光沢を抑えた黒。あちらこちらの整備は、来る3年後の神社400周年記念の大祭をにらんでのことだという。


どのような行事をするのか、
副総代長の金子正直氏が、、いろいろと考慮中とのこと。準備は早め早めがちょうど良い、お疲れ様でございます。 

【画像:その形がうつくしいと言う綾瀬富士を囲む下塗り段階の鉄柵】




その5:各神社の清掃奉仕

【画像は、綾瀬稲荷神社の清掃奉仕後の老人会「東部綾友会」の役員さん達をパチリ】

 氏子の清掃奉仕は所々の神社でなされているという。1丁目の綾瀬神社では、早朝、 氏子の赤城さん大庫さんが奉仕されている。2丁目の綾瀬北野神社では、毎朝のラジオ体操後に総代長岡田さんの発案で掃き掃除が行われている。

4丁目の綾瀬稲荷神社でも氏子の老人会の奉仕により、宮司さんが一番してほしいという時期を見計らって掃き掃除をしてくれているというお話だ。
個人でも近所の揚原さんや滝澤さんが、鳥居元や入口周辺を掃いてくれているという唐松さんのお話だ。すばらしいね。(円)

 

 

その4:囃子連の元旦演奏奉仕

 各神社では、元旦に際し賑わいを演出する一助として囃子連が出て、囃子を演奏する。

綾瀬稲荷神社でも、五兵衛葛西囃子保存会の連中が午前3時ころまで、寒い中をはやしてくれたそうだ。会長は身内に不幸があり、しばらく遠慮しているという。エライねぇ。

新年早々の福招きだ。今でいうボランティアとは意味合いが違うと私(円丈)は思う。
綾瀬地区は本当に氏子の結束がすばらしい。


【画像は本年元旦、新調した揃いで演奏するお囃子連中】

 

その3:元旦・・初詣一番乗りは?

 元日の草々初参りして初福を頂こうと・・・。今年の綾瀬稲荷神社での一番福は、地元の生田目さんご一家だったと唐松さんから伺った。

 そして二番福は、やはり地元の野村(アヤセカメラ)さんご一家。今年一年がしあわせであることを祈らずにはいられない。

私(円丈)は、一番福とか、怠け者であまりしないけど、松が取れる7日までには、毎年20社近くお参りしてる。

 もっとも歩いていてたまたま神社があっても参拝するから、参拝癖みたいなもんでしょうね。

画像は、 平成24年元旦初詣一番乗りの生田目さんご家族】



【平成二十四年正月号】

その2:正月3日の綾瀬稲荷神社

【三日でもドンドン初詣にきています】

元旦に綾瀬稲荷神社に初詣に行こうと思うけど、なかなかおもうようにいけない。そこで初詣が、3日になってしまった。

しかし、綾瀬稲荷神社さんに来ていつも境内がきれいにはかれ、地面に箒の跡が、きれいについてることだね。

それを見るだけでとてもすがすがしい気持ちになってくる。これがうれしいなあ。(円)



【画像:正月3日でも参拝の人が絶えない】

 

その1:明けましておめでとうございます

 平成24年

あけましておめでとうございます。

  綾瀬稲荷神社

 


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