小説嫌いの小説三昧 その1

 「小説嫌いの小説三昧」って、なんだ、そりゃあ?いやあ、このところ年で頭が馬鹿になり、ボケ防止に外国小説を読むことにした。ミステリー、SFものを除いたもの。古典ではなく一応、現代。まあ第二次世界大戦以降に書かれたものを、本屋で目に付いたものは手当たり次第。 ・・てなことで外国小説を二十数冊読んでみた。今の翻訳物は、昔みたいに直訳で読み難いのはなくなってサクサクと読める。しかも面白い! 読むべし。

こら、日本の出版社!おもしろい本を出さんか!

 先日、この一年のベストセラーを見たら、5位までの中に翻訳物がなんと3冊入ってる!しかも1位があの『チーズはどこへ消えた?』だよ。あんなのに負けてちゃダメだよ。えっ、お前は読んだのか?当然だよ!しかもあと2冊は集団買いする宗教本だよ。出版社が頼んで書いてもらった人気の先生方や、評論家の書いた著作はもう惨敗。そして翻訳家が今最も人気の職業のひとつになりつつあるようだ。
 しかしそんなの当然だ。 だって日本人の著作物って買って読んでも殆ど100%外れ!無内容で活字が大きくペラペラで下らん。金を払うに値しない。 買うと損するから日本人の書いたものは買わない!!!せいぜい新書だけ。
  こら日本の出版社!いつまで柳の下のドジョウ百匹競争を続ける気だ。
「え〜と今の読者の平均年齢は63.5才だから・・・それに一番合うものは・・」
なんてやってるから下らない本しか出ないんだ。日本人の書いた本なんてペラペラで枕にもならねえ。読者をなめるな。会社なんて潰れる時は潰れるんだ。どうせ潰れるんなら今の内におもしろい本を出しなさい。


「ハリポタ」読むなら絶対コレ!

訳もなく感動してしまった『リトル・トリー』


20冊ほど小説を読んだが、これは頭抜けてる!密かに読むべし。

『リトル・トリー』作フォレスト・カーター(Forrest Carter)2001.11.20初版
原題『The Education of Little Tree』和田穹男訳
 めるくまーる出版(普及版) 定価1000円
(最初のアメリカでの出版が1976年。一度絶版になるが1985年に再発行)
 見てごらん。あの山を
  うねりながら高く高く盛り上がる山を。
   あれは新しい朝を孕んだ大地のお腹。
    今彼女は真っ赤な太陽を出産するところだ。
       『リトル・トリー』より

【感動のあまりミッキーも齧ってしまった。犬も推薦する本】

【こんなおはなし】

 48才で小説を書き出し、54才で死ぬまで4冊しか書かなかった作者フォレスト・カーター。その彼の小さい頃、両親に死に別れ、アメリカインデイアン、チェロキー族の血を引く祖父に育てられた伝記的小説。リトル・トリーとは作者カーターの幼い時につけられたインディアン名。少年の目を通して語られるやさしさと痛みとユーモアにあふれた物語。
 訳者は "幼いリトル・トリーの、水のようにせせらぎきらめきつつ流れ去った至福の日々と、そのやわらかな魂に刻印された祖父の粗野ではあるが真実の教え、祖母の愛、山の草木やけものたちとの語らい!読者はこの平明な物語の中に、年齢を越えて、それぞれに心を誘われるなにかを発見し、また思い出すであろう。" 書いている。まさにそうだね。



ここで感動・・表現の豊かさ

 なぜ自然をこれほどまで見事に表現できるのか?

 太陽が夜の影を下へ下へと追いやるにつれて、樹氷群のきらめきも波頭を立てて山腹を滑り降り広がってゆく。斥候役のカラスが一羽、大気を裂いて鋭い鳴き声を三回あげた。ぼくたちがここにいることをなかまに知らせているのだ。
 今、山は身じろぎをし、ため息をついている。吐き出された蒸気は白くこごって小さなかたまりとなって漂う。太陽が氷を融かし、死の鎧から木々を解放してゆくと、ピシツピシツという鋭い音、またブツブツという低い音があちこちから聞こえてくる。
 ぼくらは目をこらし、耳をそばだてていた。木々の間を笛のように低くうなりながら朝の風が吹きはじめる と、山の音はいっそう高まってきた。
 「山は生きかえった」
目を山に向けたまま、祖父が低くつぶやいた。
 何と言う豊かな表現力だろう。自然の中で暮らし、知り尽くした者のみが、出来る表現だ。これを読むと自分の表現の稚拙さが恥ずかしくなる。それに翻訳臭さを全く感じさせない訳者和田穹男氏の腕も冴える。とにかく良い!!



ここで感動・・笑うことと泣くことは同じなのか?

年老いた勇敢で孤独なインディアン ウィロー・ジョーンにリトル・トリーが、インデイアンの流儀でウシガエルの贈り物をするシーン

 ウィロー・ジョーンも一瞬跳び上がったが、すぐに手をポケットに突っこみ、声の正体をさぐつた。それがなにか、わかったらしい。けれども、彼はウシガエルを引っぱり出しはしなかった。ぼくに向けたウィロー・ジョーンの目にきらめきがもどつた。それから、彼がほほえんだのだ!微笑はしだいに顔じゅうに広がり、ついに彼は声をたてて笑いだした!
  腹の底に響くような低く太い声だった。みんないっせいに彼の方をふりかえった。ウィロー・ジョーンは人目をはばからず笑いつづける。ことのなりゆきに一瞬おびえたけれど、すぐにぼくも笑いだした。ウィロー・ジョーンの目に涙が盛り上がり、大つぶのしずくがしわだらけの頬をこぼれ落ちた。
 ウィロー・ジョーンが泣いていた!
 会堂の中は水を打ったように静まりかえった。牧師もポカンと口をあけ、目をまるくして突っ立っている。ウィロー・ジョーンは、ほかの人たちの存在などまったく忘れていた。声をたてず、胸を波打たせ、肩をふるわせて、彼は長い間泣いた。
 白人と戦い、土地を奪われ、家族を失った孤独なインデイアンの心の底に何があったのか?そしてウィロー・ジョーンは、なぜ笑ったのか?なぜ泣いたのか?・・・分からない。
  確かなことは、私は読んでいて泣いてしまったと言うことだけだ。なぜ私は泣いたのか?・・・分からない。感極まった時の人の感情は、説明出来ないのではないだろうか。まあ、この部分だけ読んでも泣けないだろうけど・・。

【裏表紙の絵より】



ここで感動・・古老インデイアンの臨終

【ウィロー・ジョーン、臨終のシーン】

 祖父とぼくがそこにいるのも忘れたかのように、ウィロー・ジョーンは山のかなた、西の方角をじっと見つめている。やがて彼は、精霊たちに遠い旅だちを告げる歌を歌いはじめた。死出の旅路の歌である。
 のどの奥から漏れ出る低い声が徐々に徐々に高まり、ふたたび消え入るようにかぼそい声に変わっていった。
 風の音なのかウィロー・ジョーンの声なのか、もはや区別がつかない。のどの筋肉のふるえもしだいにかすかになり、それにつれて目の光が薄れていった。魂が両目の奥へ吸いこまれるようにしりぞいてゆき、肉体を去ろうとしているのが見えた。―そして、ついにウィロー・ジョーンは行ってしまった。
 一陣の風がぼくらの頭上をかすめ、モミの老木の枝をたわめた。
「ウィロー・ジョーンだ」祖父が言った。強い魂を葬送する風だった。ぼくらはそれを目で追った。
 尾根の木々の梢をいっせいになびかせ、山腹を駆けくだってゆく。カラスの群れが驚いて空に舞いたち、またひとかたまりに集まって、カアカア鳴きながらウィロー・ジョーンとともに山の斜面をなだれ落ちていった。
 祖父とぽくはすわったまま、ウィロー・ジョーンが山並の向こうに消えてゆくのをいつまでも見送った。
 「ウィロー・ジョーンはもどつてくる」と祖父は言った。

 死を見事に描写している。これはもうインディアンの文化そのものだ。『チベット死者の書』を読んだ時と非常に似てるなにかを感じる。アメリカインデイアンとして生まれ、生き、そしてインディアンとして死ぬ。それが彼らには全て。こう言う人生も宗教感もいいなあと思ってしまう。




ここで感動・・これがラスト

ウィロー・ジョーンに続き、祖父、祖母と死に5頭いた中で最後まで生き残った犬ブルー・ボーイと一緒に旅に出る。

 ある日の明け方、ぽくらはようやく山のふもとにたどりついた。山と言うより丘と呼ぶのがふさわしかったが、それでもブルー・ボーイはヒーヒー鳴き声をたてた。頂上に彼を運び上げたとき、朝日が東の地平に顔をのぞかせた。
  ぽくが墓穴を掘るのを、ブルー・ボーイは横になったままじっと見つめている。もう頭を上げることさえできなかったが、それが自分の墓であることはわかっている、と彼は無言でぼくに語っていた。片耳をピンと立て、ぼくから目をそらさない。穴を掘り終わると、ぼくは地面に腰をおろし、彼の頭を膝の上に抱いた。抱かれながら、彼はときどきぼくの手をなめた。
 まもなくブルー・ボーイは静かに死んでいった。ぼくの腕の中で、彼の頭がガクッと傾いた。深い穴の底に死体を降ろし、石をびっしりつめて野獣に食い荒らされないようにした。
 ブルー・ボーイは格別鼻がきいたから、もうまっしぐらに故郷の山へ向かっているだろうとぽくは思った。
 ブルー・ボーイの奴、おじいちゃんにわけなく追いついちゃうだろうな。

 「きっと犬ってそうするだろうなあ」と言うなにかがある。いいなあ。すばらしい。これを読み終わった時、悲しみと静寂感が胸を突いた。圧倒的な感動がさざなみのようにいつまでも消えない。しかし滅び去った文明の方がいつも豊かなのはなぜなのだろうか。

  

読み終えて

 作者のフォレスト・カーターは、写真(この直ぐ下)を見る限りモンゴロイドの私にはどこから見てもアングロサクソンに見える。しかし幼い頃の祖父との日々が、彼を純粋にインデアンの魂を持った男にしてしまったのだろう。
  これはそれほど悲しい話ではない。結構、笑ったり、ほのぼのしたり、ホッとさせられるシーンもあるのに。なぜか、訳もなく涙が出てくる。それは私が、インデイアンのように同じ滅び去った隼人族(熊襲の「襲」の子孫が隼人)の
血を引くせいだろうか。多分普通の人より、はるかにこの小説に感動するんだと思う。
  しかしもしこの本を読んで何も感じない人がいたらその人を友達にはしないつもりだ。

【著者紹介】

【フォレスト・カーターForrest Carter】
 1925年,アメリカのアラバマ州 に生まれる。遠くチェロキー・イ ンディアンの血を引き,それを誇 りにした。作家として出発したの は48歳。第一作の『テキサスヘ』 はクリント・イーストウッド監督・ 主演により映画化された。『リトル・ トリー』は,彼の心の源郷であっ たインデイアンの世界を,少年の みずみずしい感覚に託してうたい あげた作品。
リトル・トリーは祖 父から授けられた著者のインディ アンネーム。わずか四つの作品を 残し,1979年54歳で急死。


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