円丈事件その1.2.3

円 丈 事 件 簿

                三 遊 亭 円 丈

 
芸人続けて35年!古いねえ。やり過ぎ!
それにしちゃあ芸が下手とか悩むけど。
でも35年もやってるといろんな事件があった。それを書いて見た。
でも殺人、銀行強盗なんて凄い事件は1件もない。
なお落語界最大のベストセラ−で落語協会分裂の内幕を描いた「ご乱心」円丈著と重複するようなのは、今回省きました。
しかしこの事件簿、ネタは当分困らないね。
    
始まりだよ〜〜ん。

  第1回
 円丈ニセ.ツ−ビ−トになりすまし事件
  第2回
 弟子らん丈、円丈独演会の舞台でウンコしちゃった事件
  第3回
テレビ生本番で首を吊るぞ事件


第1回 はじまりだよ〜〜ん!!

楽屋事件簿その1
円丈ニセ.ツ−ビ−トになりすまし事件

 私と馬太呂と言う男でニセ.ツ−ビ−トになりすまし、
2日間営業の仕事をこなし、無事帰ってきたと言う話!
ウソだろ?いや、ホ〜ントの話なんだ。

【なぜそんなことに?】
昭和50年前後?ツ−ビ−トなんて誰も知らない頃で私もまだぬう生
(円丈の前名)と言ってた時代のお話。

たけしさんは当時、蒸発グセがあり、間近に迫った盛岡の仕事を前に
蒸発中、そこできよしさんの師匠、コロンビア・ライト先生から
「君ともう1人いない?チョッと代演で盛岡に行ってくれない?」
と頼まれた。
そこで仲間の金原亭馬太呂(現馬好)さんと2人で行き、
噺家コンビ
としてオオギリ
をやることになった。


【列車の中で突然「ツ−ビ−トになって!」】
ところが指定された列車に乗り、仙台を過ぎた頃、
マネ−ジャ−がやってきて
「悪いけどね。
プログラムがツ−ビ−トになってるからツ−ビ−トでやって!」
と突然言うんだよ。聞いてないよ!そんな話。
ムッとしたね。
芸人にとって名前は命なんだ。

第一当時駆け出しのツ−ビ−トならまだ先輩のぬう生の方が、知ってる奴が
5人ほど多いぐらいだ。

なんで
無名なオレが、もっと無名なツ−ビ−トにならなきゃいけないんだ。
ざけんなよ!ところがそれを東京で言うと怒って帰るかも知れないと思い、
列車に乗って仙台を過ぎた頃言うんだ。汚ねえよなあ。
ここまで来たら帰れないよ。そこで


「いや、聞いてないですよ。私たちは噺家ですから」
「そりゃあ、分かるけど
先方にツ−ビ−トで通ってるから。顔を立てて!
「...分かりました。ツ−ビ−トでやっても私はぬう生!ぬう生は言いますよ」
「ああ、いいよ。たけし、きよしなんて誰も知らないから
ツ−ビ−トぬう生
でもなんでも言ってよ!」
「じゃあ、そうします!」
なんと急遽、
三遊亭ぬう生は、ツ−ビ−トぬう生に改名!いい加減だね。


【ニセ.ツ−ビ−トの舞台とは?】
千人以上の客で埋め尽された客席、センタ−マイク1本立ってる舞台へ
颯爽とニセ.ツ−ビ−ト登場!
その時の服装は、各自センスを手に二人とも黒紋付の着物にセッタ!
どっから見たって落語家だよ。そして

「どうもみなさん!ツ−ビ−ト.ぬう生です!」
「ツ−ビ−ト馬太呂です」
「(右手を揃えて上げ)
2人合わせてツ−ビ−トぬう生、馬太呂で〜〜〜す
実はここの部分だけは二人でケイコした。ああ、情けない。
「それではおめでたくなぞかけと参りましょう!
盛岡とかけまして
「はい、盛岡とかけまして、
モリとオカと解きます
「そのこころは?」
モリオカ

受けない!!それにどうやったって漫才師じゃない。
その時の
客は、まるでキツネにつままれたような
「なんなんだ!こいつらは?」
そう言う顔をしてた。それでも別にクレ−ムがつかず、2日間計4回の興業を
無事に終えた。
しかし今ツ−ビ−ト円丈なんてやったら客にリンチされるだろうね。


【..そして悲しいサゲ..】
帰りに
約束の金額のギャラを貰った。しかし馬太呂さんには、ギャラが出ない。
そこで聞いた。

「あのう、もう1人分のギャラは?」
「なに言ってんの。
それを2人で分けるのよ!
「ギエッ!分ける、ギャラを?どうして?」
「漫才師のギャラって分けるもんなの!」
やっと分かった。
最初に聞いたギャラは
漫才師の代演だから2人分のギャラのことだった。
それを落語家は、いつもギャラ全部を貰ってるから1人分と勘違いした。
これで2人分!元々安いと思ったら

オレのギャラは更にその半分?安い。安過ぎる〜〜う!死ぬほど安いよ。

漫才師の代演だけは死んでも行かん。
みなさん、なるんだったらギャラ全部貰える落語家を勧めます。

ギャラを分けるコント、漫才になるのはやめましょう!

楽屋事件簿2
弟子らん丈、円丈独演会の舞台でウンコしちゃった事件


 私の一番弟子にらん丈と言う男がいる。
その彼が、師匠の独演会でしかも舞台でウンコしちゃって話。ああ、とんでもない弟子だなあ。


【そもそもコトの始まりは!】
昭和60年頃、私は、池袋西武で今は閉館したスタジオ200で各月で

独演会をしてた。それである時、この独演会を新作落語の仲間を集め
円丈パ−フォ−マンス落語会
と銘うって各自が、おもしろそうなことを考えることにした。
会の少し前になってらん丈になにをするか聞いた。
はい、ウンコします!
「ウンコ〜〜〜〜っ?なに言ってんだ。コノヤロウ!」

と思ったが、しかし私は弟子がなにか変ったことをやろうとした時、
あまり否定しないようにしてる。そうしないと個性が伸びない。
正直、くだらねえこと考えてと思ったが許可した。

【遂にらん丈がウンコを!】
 そして当日、舞台に上がるといきなり
「これからウンコします!」
エッ!うそ。ウンコ?いやだ〜〜っ!
女性客の何人かから声が聞こえ、客席には
「ああ〜〜あ、えらいトコに来ちゃったなあ」
と言う溜め息のような
深い失望感のざわめきがあった。
そりゃあそうだよ。
らん丈のウンコなんて誰も見たくない
この辺の状況判断が彼は出来ない。ただ
「変ったことしたいなあ。そうだ!ウンコしちゃおう!!」
って
単純なんだ。

でも
ウンコなんて毎日誰でもしてることで面白くもなんともない
昔「
輝け!野グソ大賞」ってホ−ムビデオを作ったことがあるけど
まだあの方がましだ。
それでらん丈は、大きな台車引っ張ってきて。その上には西武の
荷物を
運搬する箱
があった。

「あのう、ぼくは、してるところをじかに見られるとウンコが止まちゃう
もんですから。この
箱の中でしますから

そう言って箱の底に新聞紙を敷き、その箱の中にズボンを降ろして
しゃがんだ。らん丈は、箱のヘリを両手で掴んで顔だけだして客席の方を
じ〜〜と見る。一方、客も
「..うん、もうそろそろかな。あっ、でてるのかな...」
とジ−ッとらん丈を見つめる。
見詰め合う客とらん丈!異様な光景だね。


【ホントにしやがった!!】
やがて3分後、紙で小指ほどのウンコを掬い上げて
「すいません。少し
緊張したもんですから小さいのしか出ませんでした
「馬鹿タレ!そんなもん山盛りにされてたまるか!」

しかし
西武デパ−トのマ−クつきの箱にウンコはまずいよ。
噺家で言えば自分の家紋の紋付にウンコされるようなもんだ。
ホント、イイ味を持ってるんだけど状況判断が出来ない男だね。

そしてスタジオ200の
円丈独演会は、案の定これが最終回になった。
こら、らん丈!お前のせいだぞ。もうメッ!!

しかし落語界300年の歴史の中で高座でウンコ漏らした芸人はいる。
一昨年もある芸人が..。名前は口が裂けても言えん
でもする宣言して出した落語家は、後にも先にもらん丈ただ一人。
落語史に残る!!
こらっ、らん丈。そんなことで名前を残してどうする!!


【おまけ..ホ−ムビデオ「輝け!野グソ大賞」とは?】

実は昭和60年代に一時、ホ−ムビデオに凝っていて。
5〜10分程度の作品を百本以上製作した。
その中の一本に
輝け!雑草大賞
これは噺家5人ほどが審査員になり、あるエリアを決め、その中の
雑草でどれが一番偉いかを決め、
大賞受賞の雑草には、肥料と
水3日分を与え表彰する
というものだ。
これが実に雰囲気があり面白かった。

そこで
第2弾「輝け!野グソ大賞」を作った。
とある大きな神社で野グソ(まあ犬のウンチだけど)を見つけ。
どれが一番、ツヤ、形、品性があるかを審査して大賞を決める。
大賞受賞のウンコには「
アンタは偉い」と書いた小さな旗を立ててあげる
ばかばかしくておもしろそうなんだが、全く失敗だった。

まず
映像的にウンチほど変化に乏しくパッとしないものはない。
しかも頭の中にあるウンコのイメ−ジを超えるウンコはない。
ところが雑草と言うのは、大きさ形、場所によって全て個性があり、
良く見ると可愛い。ところが
ウンチはどんなに見てもやっぱりウンチ!
クソおもしろくもない(これ、ダジャレじゃないよ。偶然の一致!
シロウトじゃあるまいし、ほんとに)。
まあ大失敗。
これほど見事に外したビデオは、ほかにない。

 つう訳で私もヤケ!この事件簿は、20回は続くね。
ネタがあるある。ありすぎる。ドンドコ行くよ〜〜ん!!

 


 

第2回 

楽屋事件簿その3
円丈レポ−タ−、マイク雑音消えんぞ事件

中継時マイクの雑音は始末書もん!
だが私がレポ−タ−をした時、その雑音の原因が分からん。
 しかしなんと原因は私だった..そしてその原因とは?


【そもそもコトの始まりは?】
 昭和57-8年の頃、日テレの朝6時から『るんるん朝6生情報』に月〜金で、レギュラ−出演。毎朝どこかの駅から生中継でそのレポ−タ−をしてた時。
 その事件は、青梅線福生駅からの中継!結構遠くまで行ってたねえ。それで本番の最中レポ−トしてるとイヤホ−ンから
マイクに時々雑音入るけど、どうしたんだ?まずいぞ。コ−ド調べろ!」
なんてやってる。

 実は
公共放送のテレビで雑音が入るとこれは、謝罪のテロップ流すだの、あとで始末書取られるとか、結構タイヘン。それでもインタ−ビュ−を続けているとAD(アシスタントヂレクタ−)が、フリップに
「マイクに雑音入ってます!」
と書いて見せる。
 そんなこと生中継の最中に言われたってこっちが困る。音声さんが調りゃあ良いんだ。
それでも2分ほどの短い中継が終わって。ディレクタ−が、中継車から
飛び出してきた。

 

 遂に原因がわかった

「なに?コ−ドは痛んでない?それで雑音が入るわけないだろ?
どうしてなんだ?」
「ヘんだよねえ。どうしてなんだろう?」
とヒョイと見ると
なんと新聞丸めてそれに喋ってた。
 実は本番前に売店で買った
新聞を丸め、それをマイクだと勘違いしてレポ−トしてた。
じゃあマイクはどうしたんだ?と見たら。
なんと
肝心のマイクは、ズボンのポケットに入れたまま。肝心のマイクは、ズボンのポケットに入れたまま。

円丈の声はドデカイ

 ところが円丈はムチャンコ声がでかい!カラオケを歌う時、マイクを使わない。
それでもうるさいほどだ。だからマ
イクをズボンのポケットに入れても普通に聞こえてた
すんごいデカイ声なんだねえ。
ただ歩いたり、動くとすれて雑音が入ったわけだ。
しかししかし、ADもカメラマンも中継車の中の連中も円丈も
すんごいデカイ声なんだねえ。

 それで歩いたり、動くとすれて雑音が入ったわけだ。
しかししかし、ADもカメラマンも中継車の中の連中も円丈も
誰一人として
新聞紙まるめて話してることに気づかなかった。

ホント朝はボ〜〜〜ッとしてるんだね。
でもこの雑音、歩いた時しか入らなかったので、大問題にならずにすんだ。


楽屋事件簿その4
池袋演芸場、客が楽屋まで追っかけてきた事件


 落語は、ヤジられるともうダメ!
私をヤジリ倒した客が、そのまんま楽屋まで追っかけて来た!

そもそもことの始まりは?

 これも10年以上前。まだ立て直す前で畳敷きの客席だった頃の話。
土曜日の夜だったと思うが、客は6〜70人いて。
池袋としてはそこそこ入っていた。
ところが客の中に40代の男がいて上がると
「おい、円丈!『グリコ少年』やれ!おい、グリコだ」
なんてうるさい。

 そこでムッとして無視して別な噺を始めると
「おい、円丈。おれの言った話しをやれよ!こらっ!」
とか、もう度々ヤジを飛ばす。
それでもしばらく我慢してやっていたが、上がって10
分過ぎについに切れた!落語の途中で
「..と言うことで今日は終わります!..」
と終わって、高座から
ねえ。お客さん!あなた迷惑だよ。別に一人で買い切ったわけじゃなし、他のお客さんが、大勢いるんだから。今度はシラフの時にきてよ!
と注意して降りた。

その客は舞台を通って楽屋に!

 なんとそのお客が、
「いやいや、おれはそう言うつもりじゃあ..」
と言いながら
なんと舞台に上がって追っかけてきた。
 どう言う客だ。ホントに!!
 もっとも当時の池袋は客席が座敷で高座の高さが40cmぐらいだからまた客席から舞台に上がり易い!

 その追っかけてきた客を無視して、そのまんま楽屋に降りると。
なんと
その客も舞台から一緒に楽屋に降りて来た。
芸人と一緒に舞台から楽屋に降りて来る客なんて見たことないよ。
するとその客は赤い顔をしながら
「いやいや、おれはそう言うつもりじゃあ!」
「なにを言ってるだ。あんた、一体どこから楽屋にきたの!」
「いや、そんなことより、おれは」
「そんなことじゃあないよ。なんで舞台を通って楽屋にくるの?
なんと舞台に上がって追っかけてきた。
 どう言う客だ。ホントに!!
 もっとも当時の池袋は客席が座敷で高座の高さが40cmぐらいだからまた客席から舞台に上がり易い!

 その追っかけてきた客を無視して、そのまんま楽屋に降りると。
なんと
その客も舞台から一緒に楽屋に降りて来た。
芸人と一緒に舞台から楽屋に降りて来る客なんて見たことないよ。
するとその客は赤い顔をしながら
「いやいや、おれはそう言うつもりじゃあ!」
「なにを言ってるだ。あんた、一体どこから楽屋にきたの!」
「いや、そんなことより、おれは」
「そんなことじゃあないよ。なんで舞台を通って楽屋にくるの?
その客も舞台から一緒に楽屋に降りて来た。
芸人と一緒に舞台から楽屋に降りて来る客なんて見たことないよ。
するとその客は赤い顔をしながら

「いやいや、おれはそう言うつもりじゃあ!」
「なにを言ってるだ。あんた、一体どこから楽屋にきたの!」
「いや、そんなことより、おれは」
「そんなことじゃあないよ。なんで舞台を通って楽屋にくるの?あんた失礼過ぎるよ!」
「...あっ、そうか、悪かった!」
と言いながら
再び舞台から客席に戻って行った

  もう参るよね。勿論、そのお客さんには木戸銭を払って帰って貰った。
みなさんも楽屋には、舞台から行くのをやめましょう。
やめましょう。


第3回 

楽屋事件簿その5
テレビ生本番で首を吊るぞ事件

 前座から二ツ目になりたての頃、円丈はある番組に出演することになったが、 本番直前、生本番で首を吊ってやろうと決意をした。してその顛末は...。

 

それはどんな番組だったのか?

 これは昭和44.5年、前座から二ツ目になって直ぐの頃、当時人気の日テレ系『11PM』 に対抗して『テレビナイトショー』と言う番組をフジ系列か、TBS系列だったか、作ったことがある。月〜金の帯、と言うものだった。

  それで名古屋生まれの私に名古屋担当の日に出演以来があり、上手く行けばレギュラーで使うと言うことだった。うれしかったね。仕事の内容は3.4分のコーナーで、その日のテ-マの漫談をしゃべると言うものだった。

その時の収録場所は市内の公園

 場所は名古屋市内の公園からの生中継。でテ−マは怪談!私のコ−ナ−は、公園の木の前。その木の枝からは首吊りのロ−プがぶら下がり、枝にはフクロウの剥製!下に小さな木の箱。その箱の上に乗って怪談をはなす。なんとかこのチャンスをものにしてレギュラーを手にしたいと思った。

ところが持ち時間がドンドン減らされる

 最初の本読みでは4分。リハーサルでは3分。カメリハでは2分!
やる度に持ち時間を減らされて本番は1分で!!
「冗談じゃないよ。1分?そんなの駄洒落一個でおしまいだよ。これじゃ目立ちようがない。なんとか脚光を浴びる方法はないか?.....う〜〜〜ん、セットに首吊りロープもある。そうだ。本番で首を吊ろう!」
なんと生本番首吊りを思いついた。

生本番で首を吊ると言う計算!

  首吊りなら絶対話題になる。これが録画ならあとで差し替えも出来るが生本番!
変えようがない。
世界初の生本番で首を吊った男。
うん、これなら絶対に話題になる!よ〜〜し、本番で首を吊ってやる。
  頭の中で台本を作った。まず
「どうもこれから僕。冗談だと思ってんでしょう?マジなんです。良いですか?首を吊る時は、こうしてロープに首を入れてと..それからこうして..がくん!」
とぶら下がる。

 首を吊った瞬間、恐らく誰も何が起きたか良く分からないだろう。
しばらく吊ってると顔が、青ざめ、うっ血してくる。その時に始めて本当に首を吊ってると気づいて大騒ぎになり、現場が大混乱する。そこ私を慌てて木から下ろす。

 そして
そのあと新聞、テレビで取材合戦で一躍有名人だ。うん、シナリオは完璧だ。しかし、万が一助けが遅れ、本当に死んじゃうことも考えらるが、それは運がなかったとあきらめよう。これは掛けなんだ。そして何食わぬ顔で本番を待った。

ところが群集が押しかけ、首吊りどころでは

 だが中継に入った時、思わぬ事態が発生した。それまで公園でおとなしく見ていた群衆が、なんと本番になった瞬間が暴徒と化し、ドット押し寄せた。なんで突然そうなるんだ?
  いやいやそう言う時代だった。東大安田講堂事件とか、少しあとに新宿西口騒乱事件とか、とにかく
権力に対する反抗が、かっこいいと思われてた時代で。この半年前にはワイドショーの「木島則夫モ−ニングショー」が、新宿コマの前から生中継し。群集がなだれ込んで。放送中止になった事件があったばかり。
とにかくそう言う時代だった。そしてこのバカ群集のせいで台本もへったくれもなくなってしまった。
畜生、ついてない。首を吊らせろ!本当に
とぼやいた。

高いギャラの奴から逃げていく...待て!!

 その時の司会が、児玉清、由紀さおりのお二人で真っ先に逃げ出した。
しかも逃げる時に
「あっ、ぬう生さん(円丈の当時の芸名)!落語家さんは、こう言う場所を収めるのが得意だから、頑張って!」
うるさいよ。ホントに。

なんでギャラの高い奴が逃げてタダみたいな俺が、残らなきゃいけないんだ。
このやろう。首を吊らせろ!!

 その内に中継車まで群集に取り囲まれてしまった。
だが現場のディレクタ−も必死だ。なにかしてるところを撮らないといけない。
そこで
ぬう生さん!悪いけど!中継車の上に乗ってなんか笑わして!
笑うか!そんなもん。でもテレビに映るんだし、面白そうだからと。中継車の上に乗った。

もう罵声の嵐!!

にかく上にのると数百人の群集が取り囲んでて。みんな名古屋弁で
「なんだ?
おみゃあなんか知らんがや!児玉清をだせッ」
「そうだそうだ。ターケ!おみゃあは引っ込め!」
「とにかく謝れ!プロデューサーをだせ」
って訳の分かんないこと言ってる。

「みなさん、みなさん!静かに。静かに!
とにかくこれから面白い小噺をやります
「クソダワケ!そんなもん聞きたにゃあ」
「そうだ、おみゃあの小噺なんか誰が聞くかあ」
「では小噺。
“牛の床屋さん!儲かりますか?”“いやモウーカラン!”なんてね
「こら、殴ったろか?ドタワケ!」
「なめとったら承知せんぞ。死ね!」
「ギャ〜〜ッ」

 もう怒号と野次の嵐!しかも小石はとんで来る。それにどこで買ったのか
生卵が、ドンドン飛んでくる。とんでもない奴らだな。こら児玉清、お前が小噺やれ!
 ホントに身の危険を感じ始めた。首吊ってそれで計算違いで死ぬんなら納得できるけど。こんなバカ群集相手に死ねるか。それで私も逃げ出した。
 そして全く収拾がつかなくなり、最後に映すものがなくなり、ビルの壁をズーッ映し放し、しかも生CMが入れられなくなった。

そして宴のあと

私を起用してくれたディレクターは、番組の責任をとって左遷され、また「テレビナイトショ−」と言う番組自体もそれから直ぐ姿を消した。私は、生卵をぶつけられ、着物一枚がパ−!とんでもない仕事だった。

 でもあの時なにも起こらず首を吊っていたら、その後の私の人生は「首吊り芸人」を一生引きずって生きて行ったろう。今と全く違う人生になっていた筈だ。
 今思うとああして大混乱が起きて首を吊れなかったのは、結局、私に取って幸せだったと思う。
バカ群集さん、ありがとう!!


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