更新日05/02/14明治時代に新聞に載った芸人たち特集!!


 かってマンホールの蓋を調べ歩き「マンホールの蓋」と言う名著を書いた林丈二氏。彼とは、狛犬友だちで林さんは、今、私のところに「明治珍聞」なるものをメールで毎日、送ってくれる。実は林さんは、暇があると国会図書館に通って、明治時代の新聞を読み漁り、おもしろい記事をストックしている。それで行く行くはこの「明治珍聞」を本にして発行する予定。それで私のところでまずテスト版の「明治珍聞」が送られてくる訳だ。
  なかなかおもしろい記事揃い!そこでこのコーナーではその中から記事に芸人もそこそこ登場するので、「明治の芸人たち」と題して、その「明治珍聞」の一部を紹介することにした。多分「明治珍聞」が出るので。そうしたらぜひ買ってチョーダイ!(円丈)

  【明治珍聞だよ】
  ◎明治珍聞その1:明治の噺家“えんじょう”大活躍の巻(明治34年中央新聞)
 明治珍聞その2:芸者編、五十銭の落し紙 ・・・・・・・・(明治14年読売新聞)

(注)新聞の文章は一部円丈が、省略・あるいは読み易く変更してあります。

【明治珍聞その2】
 芸者編:五十銭の落し紙  「明治珍聞」第 85 号
     ・・ 明治14年(1881)9月20日「読売新聞」ヨリ

「幸どん、ちょっと待っておくれよ。小便(ちょうず)がしたくてたまらない。ここでするから!」
  と言うのを押しとめ。
「なんぼ夜更けでも、ヒョッと棒( → 巡査のこと)が来ると厄介だから家までこらえておいでなさい」
と箱屋の止めるも聞かず
「なあに、かまうことがあるものか、お巡りさんに見つかったところが、五銭の罰金を出すだけのことさ」
と言うと大道に臼ほどの尻を遠慮もなくクルリとまくり、往来の真ん中へシャアシャアと小便を垂れたは四谷伝馬町、車力横町の芸妓何某(なにがし)にて、一昨々夜、同所愛住町のある官員の宅へ招かれ、一時頃までお座敷を勤めて帰る途中のことにて首尾よく巡査にも見咎められず家へ帰った。
  翌朝、前夜貰った五十銭の祝儀にて米を買うとて紙入を開けて見ると悲しや五十銭はどこへ失せたか包み紙さえ無くなったは、夕べ酔った紛れに途中で小用をした時、札で包んだまま落し紙につかったに相違ないと青くなって寝衣(ねまき)のままで駆出して行って見るとまだ紙屑拾いにも拾われないであった。まず安心したというが、何ぼ四谷の馬糞芸妓でも大道中で小便をするとは」・・林丈二通信員

 【この時代は芸人に対する職業蔑視がある(円丈)】
 この時代の記事は、ほとんど聞いたネタでそれを確認取材をしないでそれをウソで飾って書き立てる。記者の腕とは、詰まらないネタを如何におもしろく書くかだからね。
  それに明治あたりの新聞に登場する芸人は良く書かれない。“臼ほどの尻を遠慮もなくクルリとまくり、往来の真ん中へシャアシャアと・・”あたりの表現は、お前見てたのか?と言いたいね。いくら図々しい芸者だって道の真ん中でする訳がない。そしてその後、この時代お決まりの芸人蔑視“何ぼ四谷の馬糞芸妓でも大道中で小便をするとは”でサゲる。ヒドイ差別だな。もう怒った。プンプン!



【明治珍聞その1】
 明治の噺家“えんじょう”大活躍の巻・ 「明治珍聞」第 40 号
             ・・明治34年(1901) 8月22日「中央新聞」ヨリ
 【明治時代にいた“えんじょう”とは実は女流落語家】
女流落語家 若柳燕嬢(えんじょう)で柳派の落語家。 三年以前、燕嬢が亭主の座光寺(ざこうじ)秀次郎の千葉天郷(てんきょう)といって、田舎を壮士芝居で打って歩いたあげく、仕方がなしに上京して座光寺は川上座へ入り、麻生たま子は若柳で燕嬢と名も仇らしく落語家となり

【活劇 夜の常磐橋】
十九日の夜十時頃、日本橋区西河岸橋を日本銀行側を勢いよく走らする一輌の人力車あり。乗ったる主は誰れぞと見るに当時の女流落語家、若柳燕嬢(えんじょう)こと麻生たまとて、柳派の高座に薄き唇をひるがえして一夜の客を笑わすることを業とする者ながら、少々は理屈をこねもする。活発なりとの評判、いやがうえに高き女なり。
  車は逸足(いちあし)出して、いまや日本銀行の角を曲がりて、常磐橋にかからんとすると割れ鐘のごとき一声(いっせい)
「オオコラッ、車夫(くるまや)、裸体(はだか)になってちゃアいかん!」
  車夫は耳にも入らで、なおカジをとって進む。
  警官の命令に服せざる不届きなヤツと巡査は腰なる剣を固く握り、後を追いかけ、近く寄ると右の手で車夫の横面へピシャリ!驚きたる車夫は轅棒(カジぼう)を下ろし、ことばを怒らして
あなた、何をなさるんです」
「何をするちゥて裸体(はだか)で車を挽くちゥ事があるか」
「裸体じゃありません」
見れば、編シャツ(網シャツ)の粗なるを着たり。とがめたる巡査も少々ショゲ気味なれど、尊大は我国小官の特性。

 【まず警官に車夫の反撃開始】
「しかし裸体同様な風体をして歩いちゃ風俗取締り上よろしくない、ともかく・・」と言うのを遮り、車夫は鼻息荒く、
「風俗がどうだ、こうだって、裸体じゃァねえじゃねえか、エ、いったいオレを誰だと思ってるんだえ、柳派の燕嬢さんの車夫で、梅吉(四十五歳)さんてッたら、知ってるものは知ってるんだ」
 口開け(くちあけ)に三年以前、燕嬢が亭主の座光寺(ざこうじ)秀次郎の千葉天郷(てんきょう)といって、田舎を壮士芝居で打って歩いたあげく、仕方がなしに上京して座光寺は川上座へ入り、麻生たま子は若柳で燕嬢と名も仇らしく落語家となり、その燕嬢を朝な夕な、送り迎えしているのだと主人が主人だけに立て板に水さらさら
「こいつ警官を馬鹿にする不届きなヤツ、裸体のかどをもって拘引する!」
と立ちかかると。。

【えんじょう登場の大活躍!!】
 先の程から車上で落ち着きはらいたる燕嬢は、やおら降り立ち、深く一礼して
「先ほど
から車夫がいろいろ失礼を申し上げてすみませんが、裸体でないものを裸体だとおっしゃって御拘引になるというのは、チト御無理のように思いますが」
 と話はじめたがついには
「女が乗ってると思って馬鹿にするのでしょう。あなたも御承知でしょう。今度ハワイにおいて我が同胞が受けた陵辱、あのていの事もひっきょうは同胞たる女子に対して男子が敬意を持っていないから起こることです。いったい日本の警官などは常識に乏しく、人民に対する措置がよろしくない・・」と脱兎の勢いにまかせ、ある時は腕をまくり、ある時は手を振り、久方ぶりの大道演説の大気炎。
  先程より黒山のごとく寄り集まッたる野次馬連中がヤンヤの拍手喝采。見附の内外に響き、しばしは鳴りも止まざりけり、燕嬢もやめて早や四年。図らずもここ常磐橋外の長演舌。日本銀行前、燕嬢気炎の場とも註せらるべきにや」(
林丈二通信員)

 【いや、平成のえんじょうもうれしい(円丈)】
いやいや、えんじょうって名前は漢字が違っても代々正義感が強いんだね。しかしこの役者から女流落語家になったえんじょうは、その後、どうしたのかね。噺家と言ってもやや色物的な噺家だったんだろうね。この明治時代は、柳派は柳だけで。三遊派は三遊だけで別々に興行を打っていた。明治に私と同じ名の“円丈”は三遊派の方だね。しかしこの記事も半分はウソだね。それでわるけりゃ、誇張が7割。まさに明治の記事だ。


◎まだまだネタはある!続く・・待つべし!!


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