落語コラム その3
ショッキング・コラム
落語はすでに終わった??

2002年夏以降、実は悩んでいる。それは「もう既に落語は死んだのではないか?」と言うことだ。正直、こう言うコラムは書きたくなかったが、やっぱ書いておこうと思った。もう一度、言おう。落語は既に滅んだ?????? 滅ぼしたのが誰だ???  三遊亭 円 丈

落語を取り巻く厳しい現状
それにしても落語を取り巻く環境は悪化の一途を辿ってる。ますます状況は悲観的になっている。

現状1・・客の高齢化

 落語の黄金期、昭和40年代から見ると寄席の客数は確実に60%以上の減だと思う。今、現在もかなりヤバイ状態で昭和4〜50代のころは、寄席の昼間は、オバチャンの団体が多かった。 昔から寄席とか、落語のお客さんは、年寄りが多かった。しかし今ほど圧倒的に高齢者が、噺家を38年やっていて初めてだ。とにかくどこに行っても落語の客の高齢化が60代以上か、あるいは会場によっては60代が中心と言うコトもある。しかも問題はその下の4、50代層が、ガックリと少なくなる。これはとても危険な徴候だ。なぜならあと20年するとその世代の客は殆ど来なくなる。では一体、誰が来るのか?その下の世代?・・う〜〜ん、やはり予測は暗くなる。

現状2・・落語家の仕事の減少
しかし客の高齢化は、単にそのことだけには止まらない。実は客が高齢化することにって落語の仕事自体が減少中なんだ。これは噺家の基盤自体が、崩れつつあると言える。現に今の若手の噺家の中には、コンビニの店員とか、マジなバイトをする連中が増えている。とても過酷な状況に突入しつつある。
 
・・そして落語の能、狂言化・・伝統芸能へ
 かって昭和和40年代、良く半ば冗談のように落語のひとつの未来として最後、落語がダメになっても最後は能、狂言のように伝統芸能として生き延びるだろうと半ば冗談で言われていた。しかしどうも今それが冗談ではなく本当になりつつある。世襲制。人間国宝だの。笑う楽しむ落語から鑑賞する落語へ、変わりつつあるのではないのか?正直、鑑賞する落語なんぞ。くそ食らえ!果たしてそんな落語に本当に未来があるのか?落語はこのまま行くと早晩、大衆の支持を失い。将来は国のお世話になって細々と生き延びる。そんな姿が浮かび上がってくる。落語はお笑いであり、

伝統芸能化1・・落語の世襲制??
 これに関してあまり具体的には書かない。しかし落語界の世襲制化のような動きは確かにある。しかし昔は名人に2代なし!と言うことばがあった。今、死語になりつつある。そして聞く側にもジュニアを有難がる傾向がある。なぜ、ジュニアなのだ?私は別にジュニアを否定はしない。だからと言ってジュニアが優先されなければ行けない理由なぞない。お笑いはおもしろい者が人気者になればいいのだ。このジュニアを有難がる現象の中に世襲制、伝統芸能、国の補助!形骸化した落語の姿がそこにある。

伝統芸能化2・・受けさせることを考えない二ツ目の誕生
 さらに今困った現象が起きつつある。最近、若手落語家、特に二ツ目あたりから。ウケを狙わない噺家が登場してきた。彼らは受けさせるよりもその噺をどう演じるか?そこに重きを置く。それも分からないではない。しかし笑わせることを放棄することは、大衆芸能からの遊離であり、ゾンビ落語の始まりなのだ。私は新作を作るとき、どれだけ笑わせることに腐心するか?大変な労力を使っている。その私には、笑わせなくても良いと言うそんな芸人とは、最早、一緒に出たくない。
正直、笑わせなくていいのなら、素人と一体どこが違うのか?


笑い忘れた落語は滅ぶ
落語は大衆芸能だ
落語は「お笑い」であり、大衆芸能だと思っている。大衆芸能とはなにか?それは「今」があるかどうか、そして大衆の支持があるかどうかだと思う。そして伝統芸能とは何か? それは昔からあるものをそのまま受け継ぐのが伝統芸能。つまり能、狂言、歌舞伎が入る。そして今、落語が、急速に伝統芸能化しようとしている。

笑いこそ落語の王道・・ゾンビ化した落語なんぞ、落語じゃねえ!

 今のままで行くと将来落語会や、寄席は、鑑賞する客と笑わせない芸をする噺家によって静かに演芸が進んでいく。気持ち悪い。そんなものが落語と言えるのか?私はそれをゾンビ落語と区別する。本来の笑わせるための大衆芸能としての落語とは違うものだと思う。将来、このゾンビ落語がますます勢力を伸ばすようなら。 お笑いでなくなった落語はその時点でゾンビ落語化したのんだ。 非お笑い化への道。鑑賞するための落語。何時までも落語は「お笑い」であり続ける必要がある。円生も志ん生も文楽も大衆芸能だからあれほど支持されたのではないのか?完全に落語がゾンビ化したら、私はそれを落語と認めない!!



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