【弟子の中にも「おれは円丈に弟子入りしたんだ」と言う気持ちが・】
実は円丈の弟子には、正直、円丈が、円生になることに複雑な思いを持ってる弟子も半分はいる。
「おれ達は、新作のあの円丈に弟子入りしたんだ!円生じゃない」
と言う気持ちを持ってる弟子がいることも確かだ。
新作の円丈として、他の追従を許さない。新作の地平を切り開いて来たことも確かだ。
【でも円丈には「円生の弟子」あると言う強いプライドがある・・】
しかし、一方、本人円丈には「私は三遊派の噺家であり、円生の弟子ある」と言う強い想いがある。この襲名と言うことには、「円生」以外には全くなる気がない。それはあの「円朝」ですら、私は、なる気がない。もちろん、なれとも言わないだろうから・・。それはそれでいい。
【そして円生を継いだら「円丈」はどうなるの?】
もし円丈が、円生になったら、円丈はどうなる?ただ、なくなってしまうの?だけど、もう円丈と三十数年付きあって来た。噺家になって殆ど「円丈」だったのだ。新作をズ〜〜ッと作り続けて来たのも「円丈」だった。じゃ円丈が、円生になったら、「グリコ少年」が“作三遊亭円生”になるのか?「悲しみは埼玉に向けて」も“作三遊亭円生”になるの?私は三十年以上円丈と付き合って来た。
そしてあんなに苦労しながら新作を作って来た。もし「円生襲名」したら、今まで作って来た全作品が「円生作」になるのか?そうなるとそれは違うと言わざるを得ない。新作の地平を切り拓いて来たのは「円丈」であったて「円生」ではない。ここに「円丈の円生問題」と言うのがある。そしてこの円丈問題を解決しないと心の円生問題は解決しない。円丈は、正直円丈としてきちんとした仕事をしてきたのだ。
【結局、「円丈の円生」と言われるだけだろう】
そしてもし仮に円丈が、円生を襲名したとしても結局、「ああ、7代目の円丈の円生!」と言われるだけだと思う。あの芸の極めようとしたあの「昭和名人円生」では決してない。
もしかしたら「グリコの円生」とか、あるいは「足立の円生」とか、「出っ歯の円生」とか、まあ、いろんな言われ方をするだろう。いずれにしろ。六代目円生とは全くイメージの円生が出来上がる。しかし、イメージで六代目に近づけることをしない。6代目は6打目、7代目は7代目!それをしないと逆に差別化しないと7代目は認知されないと思う。いや、それより、「円丈問題」はどうするのか?
【「円丈」は作家名として永久に残そう・・・・】
そこでもう一度、では新作の「円丈」はどうするのか?そうそれはもうハッキリ言って決まってる。私は、「新作の円丈」で売って来た。円丈って名前は、円丈が死んで大きくなることはあっても小さくなることはない。そう思っている。それに円丈と言う名前に対する愛着もある。
そこで作家名として「円丈」の名を残そうと思う。仮に円生になっても作る作品の作家名は、全て「作三遊亭円丈」、だって円生になった途端、今までの作品まで「作三遊亭円生」ではなにか納得行かない。作者名と演者名を使い分ければいいと思う。(円丈) |