三 遊 亭 円 丈
実はここだけの話がだ、円丈は芸が嫌い!(ナイショだよ)
自分の芸に酔いしれるあのナルシストの世界が大嫌い。
「誰が落語のケイコなんかするか!バ−ロ−!」
これがダメだね。ここに円丈の大成を阻む原因のひとつがある。
そこで今回から始まる「芸を語る円丈」を書いていれば少しは、
芸が好きになるかと言う密かな期待と、そして !バ−ロ−!」
これがダメだね。ここに円丈の大成を阻む原因のひとつがある。
そこで今回から始まる「芸を語る円丈」を書いていれば少しは、
芸が好きになるかと言う密かな期待と、そして反省を込めて!
!
始まりだよ〜〜ん。
【メニュ−】
第7回 追悼、古今亭志ん朝師匠逝く・・
新作をやって祝儀をもらう。
第6回 芸を楽しむ私をお客さんが楽しむのや...故ミヤコ蝶々氏
芸は止ちゃくれません。下がります 故今輔師
第5回
小声の芸人は上手く聞こえるだけ
「芸は砂の山」...先代円生
第4回 アイサツ一発芸名人 柳昇師匠
枝雀師匠、バ−チャルなドラマ芸
第3回 君は君にしかなれない..円丈
『時そば』でリアルに食うのは邪道である
背中に汗をかけ
第2回 円丈がハンバ−ガ−の食い方が下手な訳
芸はいつも動かせ!
第1回 正面を切れない芸人は一流ではない
黙り芸の王者ケ−シ−高峰
どれを?
第7回 (01/10/5..UP)
芸その12
古今亭志ん朝師、逝く。 〜 落語界に衝撃が走る〜 |
古今亭志ん朝(ここんていしんちょう、本名 美濃部強次) 1938年(昭和13年)古今亭志ん生の2男、東京生まれ、長男は先代金原亭馬生。若いころ、外交官を目指していたが、 1957年に高校卒業後、父志ん生に入門し、古今亭朝太となる。1962年3月わずか5年のスピード出世で真打ち。朝太改め2代目古今亭志ん朝を襲名した。 当時は立川談志、橘家円蔵、三遊亭円楽とともに“四天王”と言われた。気品のある語り口から「落語界のプリンス」との異名を取り、得意ネタ「居残り佐平次」「船徳」「愛宕山」「火焔太鼓」などがある。出囃子「老松(おいまつ)」2001年10月1日に肝臓がんのため死去。享年63歳。 |
第6回だも〜ん (00/12/26..UP)
芸その11 わたしが、芸を楽しんでるのをお客さんが楽しむのや 〜 故ミヤコ蝶々氏〜 |
上方女優ミヤコ蝶々(本名・日向鈴子) (1920〜2000)10月14日没 合掌! ミヤコ蝶々さんと言えば、旅回り一座の座長の子として生まれ、都蝶々、南都雄二(なんとゆうじ)漫才師として売れ、昭和30年代にテレビ番組「めおとぜんざい」などの司会を十数年勤め、雄二氏没後、喜劇役者に転身した上方芸人の大御所として有名。 |
その蝶々さんの生前の言葉。
「わたしが、芸を楽しんでるのをお客さんが楽しむのや」
私がこう言うことを言っても
「ウソつけよ!」
となるが、幼い頃から芸をし続けて死んだ芸人の重みがある。まさに名言だね。
そう、芸は楽しんでやらないといけない。私は寄席では、わりとよく「金さん銀さん」(あの合わせて214才の金さん銀さんが、お互いののしりあう単純なストーリー)をやるが結構受ける。自分のネタの中であれが、一番楽しく演じられる。だから私が楽しく遊んでいるのをお客さんが見て笑うような気がする。
振り返ってみると真打になるまでは主に古典落語をやっていたが、「強情灸」(やせ我慢で友達の手前、ムチャクチャ大きな灸をすえる噺)なんてよく受けた。あれはどれだけお灸のシーンであつがれるかが勝負!でもあつがれシ−ンは演じていて楽しかった。だから受けたような気がする。あと与太郎噺も受けたのは、結構馬鹿を楽しんでやっていたし、また与太郎がぴったり合ったからだと思う。やはり芸は楽しんでやる。それを客は楽しむ!
正直、生まれてこの方、芸に打ち込んだことは一度もない。どうだ!自慢してる場合じゃないね。円丈にとって芸は、単に二次的なものにしか過ぎず。要するにその落語をイメージ通り表現できればいい。受けないから芸でカバーなんて考えない。ストーリーを変える、新たなギャグを入れる!これで今日までやってきた。
しかし56才の今、自分の円丈落語を完成させる時期に差し掛かってる。そろそろ芸としての円丈落語も真剣に考えだした。もしかしたら
来年は、滝に打たれながらケイコをする姿が見られるのか?乞う、ご期待!
古今亭今輔(1898〜1976)昭和51年12月10日没 本名鈴木梧郎、群馬県生まれ。明治31年6月生まれ。お国なまりのハンデをひたすら努力で乗り越えた。初代円右に入門。右京から桃輔。次が三代目小さん門下で小三山(こさんざ)で真打。昭和14年から今輔となる。これ以後、新作に切り替え、新作落語の大御所となる。代表作『おばあさん三代姿』『ラ−メン屋』がある。文楽、志ん生、円生の古典落語全盛時代に完全と新作に命を燃やした。特におばあさん落語は絶品。桂米丸師の師匠にあたる。 |
しかしやっぱりのちに名を残す師匠は違う。 芸はとまっちゃいません。下がります!もう本質をズバッと突いた言葉だ。私の師6代目三遊亭円生の"芸は砂の山"と同じだ。
しかし私を含めて並みの落語家は勘違いをする。仮にケイコをしなくても前の芸を維持してると思ってしまう。ここに凡人たる理由がある。
そうではない。なにもしないと芸は落ちるんだと今輔師匠は我々後輩たちに教えてくれてる。 最近、寄席で良く「死んだ落語」を耳にする。いつも決まった間で決まった調子で話し、もう完全に固まってしまった噺。これが死んだ落語!噺は下手ではないが、全然おもしろくもなんともない。
噺が躍動せず、登場人物に精彩がなく。間が死んでる。これこそ、今輔師匠の言った芸が下がる見本で下がりきって落語が死んでしまったものだ。
古典、新作にかかわらずあるネタをなにもせずに2〜3年おくと落語が腐って固まる。どんなネタの3年おきぐらいにホコリを払って、芸のあるいはギャグのメンテナンスをしないと落語が死んでしまう。とくに我々新作のネタがそうだ。
師円生があれほどケイコしたのは、噺を忘れないことと共に時々、さらってホコリを払い、新たなる芸の息吹をそのネタに吹き込んでいたのではないだろうか。
今輔師匠!ごめんなさい |
実は今輔師匠を密かに尊敬している。前座時代、東宝名人会で良くお会いしたが、師匠連の中で唯一前座に大して丁寧語ではなして親切にして頂いた。晩年の人情噺『ラ−メン屋』は、すばらしかったが、降りてきて
「師匠、すばらしい名作ですね」
「いやいや、まだダメです。涙がでます。この涙が止らないと本物じゃありません」
もう円楽師匠にお知らせしたいような言葉。
しかしYahooの検索で今輔は1件もなかった。あの50才以上なら誰でも知っているあおの今輔師匠が、検索結果がゼロ!もちろん、全ての検索エンジンで探せば見つかったと思うが。Yahooでゼロ!
今輔師匠すいません。同じ新作をやりながら!必ず師匠のペ−ジを作ります。まあ、少し先になりますが、これがいけないね。でも来年いっぱいいには必ず!
『笑いの引き出し』桂米丸著 うなぎ書房 2000年12月発行 定価2100円(本体2000円) TEL03-3578-7043 この言葉は、この本に書いてあった。内容は桂米丸師55年の芸道生活を振り返ったもの。一部しか読んでないので評論は差し控える。興味のある人は、買ってみると良いだろう。 |
芸その10 小声の芸人は上手く聞こえるだけ |
まず落語の基本は先ず「大きな声でハッキリと!」これが基礎の基礎!!芸うんぬんの前にまず何を話してるのか分からなければしょうがない。
そこで最低200人ぐらいの客の前ではマイクなしでOK。できれば500人ぐらいまではマイクなしでカバ−したいもんだ。
このぐらいの声がでるのが、プロの最低条件。ところが最近は良いマイクのおかげで小さな声のプロが育ちつつある。果たしてこれは進歩なのか?退化か?どっちにしろ。我々はプロだからね。大きな声も出ると言うのでないと大したことはない。
大体小さな声で話すと落語は上手く聞こえる。これは小さな声だと簡単に変化が付けられる。ところが大きな声で変化をつけるのは、実に難しい。例えば高校野球の選手宣誓のような大声を維持しながら落語をやれば、そりゃあ変化をつけるのは、めちゃ難しいのだ。
昔から声が小さくて上手いと言われた芸人もいたが、結局ものにならなかった。そんなの箱庭みたいなニセモンの芸だ。怖くもなんともない。本当のプロなら声を張ってしかも変化が付けられる。これがうまいだ!
まあ、最低でも円丈ぐらいの大きな声で演じて上手ければ本モンだね。えっ?私?いや、下手だね。上手くない!!と断言できる。しかし今の芸人は八割以上は私より下手だ。今すぐその人の落語を具体的に指摘して直せる。その程度のことはできる。だって35年も落語やってるんだよ。
芸その11 「芸は砂の山」...先代円生 |
今楽屋で次の7代目円生は、誰がなるかなんて噂が飛び交ってるけど。誰がなっても七代目円生は、「下手な方の円生」って言われるだろうね。芸でいけばチョッと誰も太刀打ちできない。その上手かった六代目円生の言葉が、「芸は砂の山」だね。
これは師匠円生に聞いたことがある。
「師匠!初めてその噺を覚えたネタ下ろしの時はそこそこウケルのですが、ところが二度目にやるとどう言う訳か、しらけるコトが多いのはどう言う訳でしょう?」
「そりゃあ当り前だ、いいか!芸と言うものは砂の山だ」
「砂の山?」
「砂山を登ると崩れてズルズルと滑べる。それが芸でげす。良いか芸てえものは、なにもしないとドンドン下がるもんだ。毎日少しずつ下がってる。だから最初にやった時は、一生懸命覚えて必死にやるから受ける。ところがそれからなにもしないと芸が下がる。下手になるから受けないんだ」
「はあ、なるほどではどうしたら受けるようになるんでしょう?」
「良いか。芸人はすぐ勘違いをする。おれは稽古をしてるから芸が上達してるだろう。ところが砂山ではいつもズルズル下がっているから。少しぐらい稽古したんじゃあ。滑った分だけ上がる。つまり同じとこを行ったり来たりするだけだ。つまり自分じゃ上手くなってるつもりでもちっとも上達してない。だから上達しようと思ったら崩れる以上にいつも稽古をしないと上には登れない。それが芸でげす」
「はは〜〜〜〜っ!」
思わず頭が下がった。と言うのはなにしろ芸人になって以来、六代目円生ほど稽古をした人を見たことがない。寄席の帰りに一緒に帰るとバタンと車のドアが閉まった瞬間もう稽古をしていた。あとにも先にもあれほど稽古をした師匠を見たことがない。
一度泊まりの旅にお供で行った時、翌朝に
「ぬう生!(円丈の前名)昨日は眠れたかい?」
「はい、おかげさまでぐっすりと」
「そうかい!いやあたしゃ。午前2時から眠れなくて仕方がなくて今まで稽古をしてたよ!」
「へへ〜〜っ!」
この瞬間、私は円生を抜けないと思った。だって弟子の10倍稽古をするんだからこりゃあ抜きようがない。えっ?じゃあ抜く気でいたのか?当たり前だよ。それまでは、なんとか抜いてやろうと思った。それが弟子の恩返しってもんだよ。これが私を新作にずっと走らせた原因のひとつだね。新作なら俺の方が上だし、なんとか太刀打ち出来るだろうと思った。古典をやる芸人さんたち!
芸は砂の山だよ。分かってるのかなあ。
芸その8 アイサツ一発芸名人 柳昇師匠! |
春風亭柳昇師匠と言えば独特のフラで客を湧かせるので有名だが、おっとどっこい。それだけじゃあない。
実はパ−ティなんかのアイサツで必ず笑いを取るアイサツ一発芸の名人なんだ。
実はパ−ティなんかのアイサツで必ず笑いを取るアイサツ一発芸の名人なんだ。
アイサツ芸 その1 |
6月に故林家正楽師匠(紙切り芸)の1回忌の挨拶は
「え〜〜え、柳昇です〜う。正楽さんはあ、正蔵師匠(後の林家彦六)の〜お。
弟子さんですけど〜う。埼玉なまりがあるのを嫌われてえ全然〜ん、落語のケイコをつけてくれない〜〜ん、もう犬の散歩ばかりで〜え、ある時正楽さんがあ、犬を連れて国鉄の鉄橋の上に来た時〜い、もう頭にきて〜え、犬を下の線路に突き落として殺してやろうとしたら〜〜あ、犬が尻尾をふって〜え、命乞いをするので、可愛そうになって取りやめたそうです〜〜う、でもどうして、その時に
犬じゃなく正蔵師匠の首を 締めなかったんでしょうね〜〜え
」
もう馬鹿受け!しばらく笑いが止まらなかった。まさに名人芸だね。
それから
アイサツ芸 その2 |
7月の小円馬師匠の葬儀のアイサツでは、いきなり
「大阪で〜〜え、小円馬さんにご馳走になりました〜〜ああ!」
もう会葬者は、笑いをこらえるのに必死だった。
やはりあの独特のふらだね。他の人ならシラケかえるかもしれない。
しかし名人芸は、1日にしてならず以外とアイサツのケイコをして
「はあ〜〜あ、どうも間が悪いね〜〜え!もう1回」
なんて人知れずケイコをしてるのかも知れない。
芸その9
枝雀師匠、バ−チャルなドラマ芸 |
枝雀師匠は今年惜しくも亡くなられたが、完全主義者として有名。
。
生前良く「緊張と緩和」と言っていた。
しかし言うだけでなくなんでも緊張と緩和の曲線を描き、その下自分の落語の中にそのグラフ通りに
受けさせるように山をつくり、 受けさせるように山をつくり、その通りに全盛期は受けさせたと言う。
これは大阪のある落語家さんから聞いた話だが、一緒にドラマに出演した。
そのドラマに皿のまんじゅうを枝雀師匠が食うシ−ンがあった。
ところが皿の盛られたまんじゅうを取らなかった。
なんとそのまんじゅうの上。勿論ないもない!そのないもないところから
バ−チャルのまんじゅうを取り、それをバ−チャルでさもうまそうに食べたと言う。
つまりバ−チャルのまんじゅうを取り、それをバ−チャルでさもうまそうに食べたと言う。
つまり落語でまんじゅうを食べる仕草をそのまま、ドラマでやってしまった。
すごいねえ。このエピソ−ドは、枝雀師匠の芸を解く鍵になりそうだ。
芸その5 憧れるな。君は君にしかなれない .....円 丈 |
いやいや、カッコイイ台詞だなあ。誰の言葉だ?あっ、私だ。私は、凄い!!
大体落語家は、誰かに憧れてなる。しかしその憧れの芸人を どんなに真似てもやはり真似。それ以上ではない。
勿論、最初の修行の段階では、芸は先ず真似ることからはじまるが、私が問題にしてるのは、その次の段階の話。どう自分が光るか?
芸や、落語に絶対の正解はない。これが、学校の試験の答案と違うところだ。
もっと判り易く言えば
「円生は、志ん生になれないし、志ん生もまた円生になれない」
これは全てに当てはまる。200人の芸人がいれば、200通りの芸になる。
結局、その人の持ってる一番おもしろい部分が、ストレートに出た場合が、タレント。それが落語の中で昇華されたものを芸と言う。
芸とは、自分探しの旅でもある。
その自分のおもしろい部分を光り輝かせた者だけが、勝者になりうる。
だから弟子に言います。
「天どんよ。お前は誰にもなれない。お前が、なれるのはお前だけだ!」
芸とは「幸せの青い鳥」!どんなに遠くまで行っても見つからない。
それは自分の中にあるのだから。
どう、こんな風に理論的に象徴的に説明をできる芸人って他にいる?
いたらでてこい!!
芸その6 落語『時そば』でリアルに食うのは邪道である? |
良くご通家衆(ゴツ‐カシュウ.今風に言えば落語オタクなんだけど)で
「あの芸人のそばの食い方がセコイ!それにそばをすする音も...」
と良く批評される。
しかししそれを簡単に批判するのがただのシロウト!落語と言うのは、本来、流派(柳家、三遊亭など)によって演じ方が違う。
最近は、三遊亭も柳家も同じ噺。同じ演じ方をすることが、多くなったが、本来は違うものなのだ。そしてこの『時そば』は、柳派と古今亭では今も演じ方が違う。
柳家は実にリアルにそばを食う部分に比重をかけるが、古今亭では、食べる部分はアッサリと演じる。
古今亭の人たちは、
「『時そば』と言うのは、一文ごまかした男を真似て失敗するのがスジ。食うのはあくまでもサブ。それなら食うコトに力を入れるのは邪道であり!!あくまでもあくまでもアッサリと食うべきだ」
と言うのが古今亭の理論。
柳派は、そばを食べることも含めたトータルな演じ方をする。
と言うのが古今亭の理論。柳派は、そばを食べることも含めたトータルな演じ方をする。
どちらが正しいと言うよりどちらが正しいと言うより、これが、本来の各流派の違いなのだ。
一方、我が三遊派は、この『時そば』をやらない!
!
王道を行く三遊派は、そばを食って王道を行く三遊派は、そばを食ってごまかすような落語はやらない(ホンマかいな?)
師円生は、300本ほどネタをもっていたが『時そば』をしなかった。
そして弟子の 私はここだけの話だけど、密かにそばを食う仕草をしてみるのだけど、上手く食えない。ああ、情けない!これ、内緒だよ。
芸その7 背中に汗をかけ!.....6代目円生 |
生前師円生が、良く言って言葉が゛背中に汗をかけ!”つまり
「芸人が顔に汗をかくなんてお客さまに失礼。背中に汗をかき、
顔に汗をかくなんてお客さまに失礼。背中に汗をかき、
決してお客さまに汗を見せてはならない」
と言うことなのだ。
今の時代、大声で汗をかいてやると一生懸命やってると思われるが大間違い。それは、恥ずかしいことなんだ。
...でもって私の場合は、大声で顔に汗をかいてやる恥ずかしい芸人!
しかし !しかし背中にだけ汗をかくなんて。特異体質じゃないの?
できないよ。むずかしいよ。
そりゃあ、受けなくてもいいから背中に汗だけかくことを注意してやるのなら、ことによるとできるかもしれないけどね。目の前にいるお客さんを笑わせて、しかも背中に汗!百年やっても無理だね。
芸その3 円丈が、ハンバ−ガ−の食い方が下手な訳 |
実は自作の落語『イタチの留吉出世物語』の中でハンガ−ガ−を食う 場面がある。ところが、これが上手く出来ない。なんどやっても納得できない。 できない。原因は、入れ歯のせい。(これは、ナイショ!)
リアルにハンバ−ガ−をガブッと食べる仕草をするとバカッと下の
入れ歯が外れる。しかもリアルに口を動かすとまた、バカッと外れそう
になる。
ホントは口いっぱいにハンバ−ガ−を頬張りながら食べる仕草が、頭の中では完璧に演技できてるのに! いつも中途半端で終わってしまうの
は、み〜〜〜んな入れ歯のせい。
決して芸が、セコイせいではない。念のため。
芸その4 「芸はいつも動かせ!」...6代目円生 |
もうホンモンの芸論だね。師円生の持論は、
「「芸は、いつも動いてなくちゃいけやせん。それでないと噺が死にやす」
と言うものだ。つまり,何度やってもピタッと同じに決まるようでは、芸が死ぬと言う訳。
もう少し分かり易く言えば、芸は9割を固めても残りの1割が、固めずに おく。実はその1割の部分の中に芸が伸びる可能性を秘めていると言う訳だ。考えれば当然で, 訳だ。考えれば当然で,固めてしまった芸が、伸びる訳がない。
もちろん、先代の文楽師匠のように完全に固めてしまう逆の方法もある から。円生のやり方が、 から。円生のやり方が、絶対正しい訳ではない。
しかし、私、円丈の落語は、やればやるほど受けなくなる傾向がある。
ああ、情けない。最近、分かってきたことだが、どうも長くやってるとセリフも間も完全にひとつに固まってしまい。それが、受けなくさせてるようなんだ。そこで最近は、
ようなんだ。そこで最近は、わざと間を外したり、別な調子で話すようにしている。
ようにしている。
【何度やってもセリフが違った円生の落語】
これが実に摩訶不思議!円生の落語は、いつも必ず違っていた。例えば 4人の弟子に同じ噺をケイコをつけても全員少しずつ違う。
実はこれは、あまり教えたくないことだが、円生の落語は、主語と述語が、 はっきりしなくて、文としての切れ場があいまいなのだ。実はここに 円生 の芸の秘密がある。
文がはっきりしないからこそ。言葉の言い方、言い換えが、簡単にでき。
同じにならず、いつも芸を動かすことが出来たのだ。一方弟子円丈は、文がキッチリしてて、言い換えもあまりしないから、完全に言葉が決まり、そして芸も 固まって伸びないたと言う訳!!いやあ,大反省
芸その1 正面を切れない芸人は一流ではない |
“正面を切る”!いきなり芸そのモノって言葉だね。
“正面を切る”とは、高座に上がってまずビシッと真正面に向って堂々と噺が 出来るか?堂々と演ずるコトは客に安心感を与え、
「おっ、笑えそうだな!」と客がついてくる。
一方、 出来るか?堂々と演ずるコトは客に安心感を与え、
「おっ、笑えそうだな!」と客がついてくる。
一方、正面が切れないと自信なさそうに見え。客が
「おい、コイツ!大丈夫かい?」
と不安になる。
また正面が切れると目が自然に生きてくる。逆に正面が切れないと目線を
外すことが多く。目が死にやすい。正面を切ることにより、その芸人に存在感、信頼感、格調、独特の風貌を与える。新作、古典を問わず、
正面切れないよう
では では一流にはなれない。
【円丈の場合】
(1)実は性格で客と目線が合わせられない。コワイ!しょうがないね。
しょうがないね。
そこでいつも客と客の間を見てる。 そこでいつも客と客の間を見てる。一応正面あたりを見るが、正面そのもの
ではない。
(2)つまり基本的には,正面が切れない芸人になる。だから二流!困ったもん
だね。一流になりたい!
(3)しかしもっと情けない芸人になると正面どころか、客席のハジッコしか見られ
ない “お前はプロか?”みたいな奴からみれば私は、大したもんだ!そんなのと
比べてどうする!お粗末。
芸その2 黙り芸の王者ケーシー高峯 |
打倒!爆笑王ケ−シ−さん
先日NHKのラジオ収録でケーシー高峯さんと九州でご一緒した。ケーシーさん
した。ケーシーさんと言えば、医学漫談で客席に向って
「ばあちゃん、やってっか?」
なんて言って爆笑を誘うので有名。特に地方の営業では無敵!!
この日の出番はケーシーさんの直ぐ後、もう勝てない。負け!チクショウ。
なんとかヤロウの向う脛を蹴飛ばしてでも受けさせようとするんだけど。
今までに一度も勝ったことがない。今、噺家で笑いの量でケ−シーさんに 勝てる者はいない と思う。
勿論、この日も完膚なきまで叩きのめされたが、ヤロウ!今に見てろよ。もう 勘弁できねえ。5年以内に勝つ!!2,3年じゃあ到底ムリだ。
黙り芸のド迫力
でまあ....ここまでがマエフリ!長いマエフリだね。今回はまず敵を知ろうと ケーシーさんの舞台を拝見した。....いやいや、 ケーシーさんって凄い人だ!
なにしろ、舞台に上がって。あのブルドックのような顔でただ黙って客席の あっちこっちをズーッと見てるだけ!なんと 1分40秒間黙り続けた。
しかし10秒過ぎから笑いが来て。その後は、大爆笑の渦が続いた!
正直、悔しいけどスンゴイ人、 !
正直、悔しいけどスンゴイ人、ホンモンの芸人だね。仮に受けなくても良いから 1分40秒間、客を見続けろと言われても私には、出来ない!ケーシーさんの持ってるキャラクター、その
芸の勝利だ。私のようにどこかで芸を軽蔑してる ような中途半端な芸人では到底 ような中途半端な芸人では到底足元にもおよばない。反省!
黙り芸の真相とは?
その日、打ち上げでケーシーさんは、
「あれ、芦屋小雁さんに“アンタの風貌は、客になにを言うんだろうと言う
に“アンタの風貌は、客になにを言うんだろうと言う
期待感を持たせるから目一杯、黙って引っ張ったら”と言われたんで。今まで30秒だったのを。今回は1分40秒間、やってみたんだ」と言った。
そして結論
なるほどあれは、「演劇的な間」だったのだ。それにこの芸ができるためには、
まず正面が切れることが必要。あっちこっちをキチンと見るのはその応用になる。
ケーシーさんは、正面が切れる芸人なのだ。
しかし....。今回は完全に脱帽!私は、ケーシーさんを尊敬するようになりました。
だが今度、会ったらタダおかねえ!