更新日09/11/10 

初公開、下手だった小学時代の絵

今回は円丈の小学校時代の絵の初公開!正直、下手だね。絵の才能のカケラもない。まあ、才能があるとは、生まれて一度のおもったことがないが、絵の才能のカケラもない、カケラぐらいあってもいいじゃないかと思うけどないのだ。
  主に小学生5.6年生の頃、じゃ具体的にどんな風に下手だったのか?見てみよう。三遊亭円丈!
 三 遊 亭 円 丈


 これが小学校当時の絵だよ!


(1)なんじゃこりゃ?ドーユー絵なの?
【実はクラスの班で教室掃除をしてるとこ・小学4.5年生】

 名古屋市立御剣(みつるぎ)小学校に通っていた当時の絵。教室掃除と言ってもまだどう言う構図だか、う〜〜ん、分からないねえ。
  当時、教室掃除の時は机を片付け、それで掃除をした。箒で掃いて、雑巾がけをする。まだモップじゃなかった。えっ、それでも分からない?絵が下手だからねえ。ホラ、箒持ってる子が二人いて、バケツがふたつあって、黒とピンク!えっ?余計分らなくなった?そう?

  この教室掃除の楽しみは、消しゴムが落ちてたコトだね。そう言う時は拾った子のものになった。これがうれしかった。
 でもこの絵の色使いが悪いね。床の色なんかドンドン変わっていく・・実はこれは絵の具をチャンと洗うのが面倒で大して洗わないから、描いてるとドンドン色が変わって行くんだね。早い話、無精で筆を洗わないから余計分からない絵になったんだね。ゴメン!!
【画像:うんよくできました。○!】




(2)これも・・・なんじゃ、こりゃだね?
 【町内会のまつりの絵・・小学校4年】

 これが、祭りの絵だと言われても良くわからないと思うけど・・。まず、上の左右のブルー!これは青い幕だね。そこに“雁道(円丈が生まれて町名)三丁目六組”って書いてある。ここが子供祭り六組の休憩所で子供がたむろしている訳だ。

  その休憩所の前で三人の子供が、お獅子をかぶって歩いてる。しかし、お獅子で歩く時は“わっしょ〜〜い、チロリン!”と言う情けない掛け声をしながら町内を一周する。でもこのわっしょ〜〜い、チロリンが、あまりにもガキっぽくてイヤだったね。

  あと道にもう二人の子供がいるけど「大」ってセーターを着てるのが、私だ。「大角」って名前だから、その「大」を付けた。その二人がやっているのがメンコ!名古屋では「ショウヤ」と言っていた。でもショウヤが一枚しかない。ホントは5.6枚描こうと思ったが、書くのが面倒なので一枚にした。下手な絵の中で自転車だけは妙にキチンと描けてる。


【絵:お獅子で町内を一週して帰るとお菓子をくれた・・】
 




(3)ポスター・・・。うん、これなら分る!

【キレイ好きだから「えいせい週間ポスター」小学4年】

 これはポスターだから直ぐわかるね。みんなで「えいせい週間」のポスターじゃなく、好きなテーマでポスターを作ると言うことで書いたと思う。
  肝心はとこは「せいけつ」「えいせい」「きもの」と全てみんな平仮名で分り易い。しかも時代だね。「着物」を洗おうって小学生が「着物」だよ。しかも物干し竿に干してあるのは、全部「洋服」だもん。

  しかも時代の最先端の洗濯機をあしらったが、この洗濯機を良く見て欲しい。昭和3〜40年代の洗濯機の主流はスクリューが回転するタイプだったが、これはドラム式洗濯機。うちの前がラジオ屋さん(当時は電気屋じゃなく、ラジオ屋と言った)で一番初期の頃の洗濯機は、みんなドラム式だった。

  そのドラム式洗濯機が描いてある。いやいや、なかなかいいポスターだねえ。全く深みのないトコ、殆ど考えてないトコ、見たままそのままのトコ。いいねえ。

  こう言う「せいけつ」なんて書いてあるポスターを見て、“そうだ、せいけつにしよう”と思う人間っているのかね。





(4)またまた・・・なんじゃこりゃ?だね。

【写真の修整台にて両親と三人で・・小学5年.?】

 これこれ、うちの写真館!懐かしいねえ。これが写真館でフィルム修整に使う修整台だ。えっ、そんなの懐かしいのはお前だけだ?そうだね。 
   まだ世間一般では写真屋さんで写してもらっていたこの頃はまだモノクロで写真館はそのモノクロ・フィルムに修整を加えていた。
 絵の中央に台形をした台が、修整台!上からの黒い線が電気コードでその下の丸いのが電球。この明りを通して、フィルムを見て針のように細い鉛筆で修整を施していく。その修整技術は、大したもんだった。
  なにせ、ホクロや、アザは簡単に消してしまう。少々のハゲはフサフサになってしまう。写真のアデランスだね。だから写真屋で撮った見合い写真は、どんなに美人でも当てにならないとよく言われたもんだった。
  うちは両親とも写真師だったので夫婦で写真修整が出来た。昭和30年代までは結構繁盛していたようだった。

【絵:右からヒロシ(円丈)、父、母の順、一応、母は目がパッチりのつもり】





(5)なに?これ、どっかの避難民?
【我が家の冬の居間風景・・・小学5年?】

  これは昭和30年当時の日本の居間だね。下の黒い線は畳のヘリ、当時の日本家屋は殆どが畳室だった。室の中央やや下の黒くて丸いのは火鉢、その直ぐ横の黒いのは炭入れ。その横にいるのがオフクロ。着ているのが白い割烹着。

  この当時の日本のお母さんは、みんな白い割烹着だった。黒いのは布切れで裁縫をしてる最中。L字型のは針坊主だね。
 後ろの黒い箱は仏壇、左端っこにある座り机が、ヒロシ(円丈)の勉強机。殆ど勉強しなかった。
  そして4人がコタツに当っている。このコタツは昭和30年だからまだ電気コタツじゃなく櫓コタツ、コタツの中に炭が入ってる。
  正面で後ろ向いてる小さい子がヒロシ。左が姉、右が兄、正面奥が、父の4人。

  こうして見るとこの絵は、家族5人が、一家水入らずで家族団欒だ。そのアット・ホームな暖かさがジンジン伝わって来るだろ?
  えっこんな下手な絵じゃ、伝わらない?そりゃ残念だなあ。


(6)おっ、一応、絵じゃん!!
【同級生をお互い描きッこをして・・熱田高校1年の時】

 おっ、それなりに描くじゃん!まあ、高校1年だもん。この位は当たり前だよね。これは、二人一組でお互いの肖像を描きッこしたもんだね。

  しかし、絵の才能は皆無だね。頭の中で具体的な形が全くイメージ出来ないし、その上、全体の構図もだめだし、色遣いもダメだ。

  だから今でも色紙も持ってこられると困る。仕方がないので二枚歯のカミソリを書いて二枚歯の切れ味で誤魔化している。もう少し絵でも漫画でも掛けると良いんだけど、全然絵の素質はない。

 中学生の頃、美術の時間に写生に行った時、絵が下手なので、他の生徒と差を付けようと思って鉄のネットのある風景を描いた時、そのネットを時間を掛けて1本1本丁寧に書き上げた。でもその点数は並だった。上手くかけないから、時間を掛けて丁寧に仕上げてもやっぱ、評価は“普通”!
 あの時はホント、ガッカリした。先生、そのぐらいわかってよ。ねえ。
 

【絵:同級生の加賀美くん!・・・違ったかな、わからん】

・・以上、てなことで今回はこれで完了。これ絵はもう少しあるけど、これ以上見せてもしょうがないもんね。

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