更新05/05/24  円丈が聴いた。これが全J-POPだ〜〜〜よ

【オレだって昔、ピンク・レデイのアルバムぐらい買ったぞ】

 いやいや、30年以上、殆ど音楽は聴いたことがないけど、それでもピンク・レデイのアルバムを買った。ああ、情けない。・・しかも感動した。ほんとにミーハーだね。それでもレコードは7〜80枚ほど買ったね。

  さてそんな円丈が、一念発起して04年夏以来、J-POPを聴いてる。ここでは、円丈が感動したこの1曲を取り上げる。一体、円丈は何に感動し、どんな曲に涙をながしたのか?

【メニュー】

◎1:コノアーチストがいい(1)・J-POPならユーミン聴かなきゃしゃあんめえ!
◎2:百回以上聴いても飽きない「そして僕は途方に暮れた」なぜ?
◎1:悲しくて悲しく・・泣いたブルーハーツ「TOO MUCH PAIN」





このアーテストがイイ(1)

J-POPならユーミン聴かなきゃしゃあんめえ


 誰もが薦めるユーミンを
 とにかく「 30年感音楽聴いてないけど誰を聴けば良い?」と聞くと真っ先に「そりゃ、ユーミンだよ」と言われる。松任谷由実!しかし正直、あんまり食指が動かない。円丈とユーミン!全然ミスマッチだよな。絶対合わないよ。・・もし、もだよ。仮にユーミンと円丈が結婚したら・・。どう言う仮定だよ。ユーミンがおめえなんかと結婚なんかする訳ないだろ?ありえねえよ。そりゃ分ってる。でもあくまでも、もしもの話でだよ。結婚したら・・多分3日で離婚だね。いや半日も持たないかもしれないね。

  大体、ユーミンとは基本的な価値観、好み、感性全て違うもんね。それに “恋人はサンタクロース”なんて、そりゃサンタを恋人に持ちゃ毎日プレゼントの山だ!それじゃ「舌きり雀」の欲張りバアさんの方だよな。なんかいやだな。
  その俺がユーミンを聴く!うん、出来れば聴きたくないなあ。それにあの歌い方も好きじゃない。参ったな。でも一度は聴かなきゃしゃあんめえ・・・・と思いながら聴いた。やっぱ、つまんね〜よ。それにあのオトメチックの失恋の歌は、そもそも男に合わないよね。

 あんまり聴く気がしないけど新井由実も・・・
 しかしユーミンの書いた作詞、作曲は山ほどある。 1枚ぐらいでダメだと決め付けるのは良くない。そこで松任谷由実が、まだ荒井由実と言っていた頃の歌を聴こう!!
  最初、松任谷由実と荒井由実って別人だと思ってた。そうしたら同じ人間なんだって。だからつまりこう言うことだよね。落語界で言うと前座、二ツ目時代の名前が荒井由実で真打で松任谷由実になったんだろう。・・と思っていたら・・そうしたら単に松任谷と言う人と結婚して苗字が変っただけ!なんだ、そうなの?

 才能あり過ぎ狙い過ぎだよ
 それで荒井由実を聴いた・・・けど、正直どうもおもしろくない。中にあった「中央フリーウエー」なんてバスガイドの歌かよ。ホント、どうもなあ。それに作詞に才能ありすぎる。良くない!そのあり過ぎる才能で狙い過ぎなんだ。いやだな。
「海を見ていた午後」なんて・・。静かなレストランで “ソーダ水の中を貨物船がとおる”って狙い過ぎだよ。そこまで狙う?みたない狙い方だよ。いやだなあ。
 
  しかもそのあと“紙ナプキンは、インクが滲むから忘れないでね・・”こんな詩はそんじょそこらの才能じゃ書けるもんじゃねえぞ。殆ど天才的な才能だぞ。それで狙ってしかもズボッ、ズボッとツボにハマてるじゃんか。そんなにはまっちゃハマりすぎだよ。ホント、参ったなあ。もう・・・。アンタ、どうする?

 ユーミンのオトメチックな世界が、オラ、わかんねえだ!
 それにユーミンの歌ってるオトメチック・ワールドが、女性に縁のない円丈には理解できんね。「魔法の鏡」なんて “あれが最初で最後の恋”と言ってるのに“偶然を装って彼に電話するわ”とか言ってる。なに言ってんだよ。最初で最後の恋だったらガツーンとアタックしろよ。死ぬ気で行けよ。ホントにも・・偶然なんか装ってる場合じゃねえだろ!
  どうもユーミンの歌には、こういう本音を言わない女性がグッドみたいな価値観があるんだよ。訳がわからないよ。それをあのかすれた病人みたいな声で歌うんだよ。全くもう・・・・・・・・とブツクサ言いながら聴いてた・・・。

 しまいにゃ、ユーミンのあの声に中毒してきた・参ったね
 
 すると聴いてる内になんかだんだんユーミンが良くなってきた。 そうあの病人みたいなかすれた声が、もうたまんなくよくなって来た。いけねえ。これはユーミンかすれ声中毒だと思った時は、遅かったね。
  今や、ユーミンを一日聴かないと発作が起こる。えっ、好きな曲はなんだ?それは「海を見ていた午後」と「魔法の鏡」に決まってるじゃないか。いいよ。とにかくユーミンの曲は、ホント中毒するんだよ。あとユーミン自身が歌った「いちご白書をもう一度」なんかもうサイコー。何度聴いてもいいなあ。でもユーミンが良いって言うのは内緒だよ。ここだけの話にしといて。 お願いだから!


【2:Kono曲がイ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜イ!】

魅せられた曲・・・百回以上聴いて今も飽きない・・なぜだ?
       『そして僕は途方に暮れる』(1983〜4)
               歌・・大沢誉志幸 作詞、作曲大沢誉志幸

 去年、夏から J-POPを聴き出すまでは、この大沢誉志幸と言う歌手もこの曲も知らなかった。あんた誰?みたいな感じだった。しかし、いや〜あ、いい。好き!この曲が気に入った。この「そして僕は途方にくれる」は、もう100回は軽く聴いてる。落語のケイコでもしたらどうなんだ?全くだね。
  それほど好きな1曲だ。 エイト・ビートのリズムに乗せて・・本当にエイト・ビートだろうな。音楽のことは良く知らならね。
ややかすれたような声で歌うんだ。

「見慣れない服を着たきみが今出ていった・・」で始まる曲。
「きみを悲しませないものをキミのすべてすればいい・・」と黙って送り出しておいて。
「そして僕は途方に暮れる」
  なんだ、そりゃ?好きな女が出て行くのに黙って見てる奴があるか?しかも更に
「・・きみが決めたことだから、きっと大丈夫さ・・」
  なんて祝福までしてるぞ。
おい、祝福なんかしてる場合じゃないだろ。おい、行っちゃうよ。止めろよ。おい、コラ〜ッ!
 

 わしらの世代が絶対止めるぞ!
 しかしこの感覚は、私の世代とは明らかに違う。わしらの世代ならふたりが結婚にしろ、同棲にしろ、一緒に暮らしていた女が出て行ったら絶対止めるよ!
中にセコイ男なら
「おれが悪かった!なんでもするから・この通りお許し下さい・・」
と土下座する奴もいれば
「ふざけんなよ。このブス!」
と開き直る奴とか、いろいろいるが、少なくとも黙って見送る奴は皆無だね。

 私だって一応は止める。そんなの当たり前だよ。
しかし、しかし、それなのに・・・なぜだか、この曲に魅せられてしまうのだ。とにかく良い。世代も違うし、こんなリアクションは絶対取らないのに・・。 やっぱりこの歌がイ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜イ。
 飽きずに聴いて今も尚飽きないだ。いい。理由が全く分からないのに・・・しかし何度も聴いてる内に好きな理由が分かった。
 

 実はこの男の心と同じ心を持っていた
 この惹かれる理由と言うのは、実は私は、この男と同じ心を持っていたことに気が付いたのだ。何を隠そう。私は、人から何かを束縛されるのが大嫌い。だから「ご乱心」と言う本でも書いたが、円丈の師 6代目円生が落語協会を出ると言った時、弟子は当然、師匠と行動を共にするのが当たり前なのに・・。私は違った。両手を突いて何十回も「協会に残らせて下さい」と訴え、哀願したのだ。

  どんな時でも最後の選択だけは例え相手が師匠だろうが、自分の意見を通すのが円丈の生き方なのだ。でも結局、師匠に「恩知らず、義理知らず」と百回以上ののしられてついに屈服させられしまった。あの時は心が死にそうになった。それほど他人から束縛されるのが大嫌いだ。だから・・だから・・私は、他人には何かを決して強制しない。あくまで本人の意志を尊重する主義なのだ。

 私は、好きな女が目の前で出て行った場合、確かに一応は
「少し冷静に考えてみない?」
 とか、引き止める。しかしそれでも「イヤ!」と言われれば、もうそれ以上は引き止めない。いや、引き止めてはいけないのだ。誰も人の心を所有などは出来ない。その人が出て行くと言ったら黙って見送るしかないのだ。それに私の信条は“去る者は追わず、来る者は拒まず”これに例外はない。
 

  ・・・で結局・・私も途方暮れる・・・
 でも出て行かれたその後、もう途方に暮れっぱなしだね・いや、途方に暮れるどころか、そのショックで腑抜け状態だろう。そしてその後、間違いなく泣くね。ワンワン泣くと思う。もう泣くしかないじゃん!円丈は、感情を抑えない。
  しかし基本的に私は、女性に縁がないから、そう言う経験は皆無。だから実際はどうなるかは分からない。でもやっぱ泣くだろうね。
  だけど仮に自分が泣こうが、重い鬱にかかろうが、相手が自分の意志で出て行くんだから、それを止めることは絶対出来ない。そうなるとアトはもう芸道に邁進して忘れるしかない。ホントに邁進するのか?まあ、それはともかくとして、私も最後は決して止めない。
 
  この曲は円丈「座右のJ-POP」だ
 だから結局、私は、一度は止めるけどそのあと殆どこの男と同じような行動を取る。この男の行動は、実は私に良く似てる。
そうなんだ。だからこの歌を飽きずに今も聴いてる訳なんだ。

 もし私が女性経験が豊富でこんな体験を何度もしてたらこの歌は私の「座右の J-POP」にしたね。
 なんだ、その「座右のJ-POP」って?まあ、そういうことだね。(円丈)
 


【1:Kono曲がイ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜イ!】

 悲しくて悲しくて・・泣いてしまった
     『TOO MUCH PAIN」( 1992.3.10 RELEASE)
      歌・・・THE BLUE HEARTS 作詞、作曲
真島昌利
【ブルーハーツはかっこいい】

 このブルハーツも全然知らなかった。ホントもう我ながら情けない。でも我々還暦を迎える世代で知ってる者は少ないと思う。

  80年代終り登場し、日本の閉塞状況が強まる中でその時代に徹底的に背を向けた彼等の魂の叫びが悲しい。

  そんなグループで今の2〜30代男性の一部に圧倒的に支持された。カリスマ性を持ったなかなかカッコイイ素晴らしい連中だ。そのブル−ハーツが解散して主力メンバーが、現ザ・ハイロウズになったと言う。まだハイロウズは聴いてない。でもそのうち聴くぞ。聴いてやる!

【画像:ブルーハーツの1990〜1993に発売したシングルだけを集めたベスト版。この中にあったのが「TOO MUCH PAIN」・・悲しい曲だ】


 「TOO MUCH PAIN」は珍しくラブ・ソング
 ブル−ハーツのCDを2枚買い!その中に1曲が、この「TOO MUCH PAIN」!シングルだけを集めたベスト盤でその中にあった。このブルーハーツの歌は、彼等の主張も分かるし、生き方もとてもよく分かるけど正直、歌の方は特に好きと言う訳でもなかった。
 だがこの「TOO MUCH PAIN」は素晴らしい。発売当時、オリコン初登場28位あたりで3週で消え、あまりヒットしなかったようだ。硬派のブルーハーツの中では珍しく本格的なラブ・ソング。しかも悲しい曲だ。
 
 いつもはロックなのにこの曲はややスロー・バラード風(ホントにスローバラード?音楽のこと良く知らないかんね)な曲に感情を入れず、とつとつと歌うあのブルーハーツ独特の歌い方だ。その歌い方が逆に悲しい。しかも歌詞のひとつひとつ、ジワジワと悲しみが押し寄せてくる。聴いてるうちにジュワ〜〜ッと涙がたまって・・泣いた!!どうも円丈は、悲しい歌が好きなんだね。
 

   ピアノとハーモニカで訥訥と悲しい・・
 ブルーハーツはロック・バンドなので楽器は当然ギター!ところがこの曲だけは珍しくピアノとハーモニカのとても悲しくメロウな曲。おい、メロウの意味を知ってるのか?いえ、知らない!でも大体、こんな時に使う言葉だろ。
 そして歌は
「はみだし者たちの遠い夏の伝説が廃車置場でさびついてらあ・・」
  と言ういかにもブル−ハーツっぽい歌い出しで始まる。・・伝説が錆付いてらあ・・いいなあ。
「灰色の夜明けをタダ黙って駆け抜けて・・あなたに会いに行けたらな
 そして回想するんだ。・灰色の夜明け・タダ黙って駆け抜けて・いや、この悲しみの表現が実に的確だ。

 それでこれはどんなラブ・ソングなのか?詩の解釈は結構難しいけど、まあ価値観の違う男女が分かり合おうと
「歯軋りをしながら・・」
努力するが・・それはあまりにも心に苦痛( PAIN)を伴う。だからTOO MUCH PAINなのだ。でも最初はTOO MUCH PAINじゃなくて、TOO MUCH PAYだと思った。
「“多すぎる支払い!”・・ そりゃ、悲しいよな」
  どうも名古屋生まれのせいか、計算とか支払いには敏感なんだね。
 

   “なにがはじけ飛び散った”・・・素晴らしい表現だ
 とにかく全編悲しい・・そして男は、新しい世界に一歩踏み出し、一緒に行こうと女を誘う。
「まだ遅くはない・・」
  だが彼女の声は、もう聞き取れない・・・そして
「・・なにかがはじけ飛び散った」
  ・なにかがはじけ飛び散った・これが決別の表現だ。・さようなら・と言い換えて文脈は繋がる。
しかしそう書かずに・なにかがはじけ飛び散った・壮絶に悲しい表現だ。これぞ。ブルーハーツだ!カッコイイぜ。 Baby!

 では“はじけ飛び散った”ものは一体なんだったのか?もちろん愛だろ!
二人の愛がはじけ飛び散ったとすれば、それこそもう限りなく「TOO MUCH PAIN」で悲しい。ブル−ハーツは、このTOO MUCH PAINを感情を極力抑え、静かに低く・TOO MUCH PAIN・と歌う。これが、返って悲しみを増幅させる。

  ブル−ハーツの曲は大体2分〜3分が殆ど。しかしこの曲だけは、飛びぬけて長く6分53秒もある。曲全編にブルーハーツ風の悲しみの言葉が散りばめられ、実に歌詞のひとつひとつが味わい深い。
  彼等にとってこの曲はかなりの自信作で結構、勝負を掛けたんじゃないかなあ。・・しかし売れなかった。まさにTOO MUCH PAINだね。しかしこの歌はラブ・ソングと言う形式を借りた「生き方の歌」とも言えるね。つまり「あなた」と言うは、あのバブル当時の「碌でもない社会」でその社会との決別の歌とも解釈できる。かなり深い歌で私もこの詩の全てを理解してないな。せいぜい80%ほどじゃないのかな。


   ・・あの時・・もしかしたら円丈も TOO MUCH PAIN?

 しかしこの曲を聴くと自分のことを思い出す。
  実はうちのかみさんとは、別なトコで知り合った。今の時代だと落語家と言っても「あっそう!」で終るが昭和 40年代当時、噺家はまだまだ道楽商売、まともな人間のやる仕事じゃないと言う価値観がまだ残っていた。だから老舗旅館の中には芸人は泊めないところもあった時代だった。
 それで結婚前、交際したての頃は噺家と言うのを隠して付き合っていたのだ。それでかなり親密になって。 もうこの辺で大丈夫だろうとなって
「実は落語家!」
と白状したのだ。それでイザ結婚しようと言うことになった時、かみさんは言ったのだ。
「一緒になるのなら、落語家を辞めてくれない?」
ゲッ!しかし円丈はひるまない・・言ったのだ。
「いや、噺家をやめるなら一緒にはならないよ!」
落語家は一生の仕事。結婚より、落語家の方が重い。第一結婚の度に職業を変えてなんかいられない。
「かみさんに言われてさあ。今、ガソリン・スタンドに勤めてる」
  なんて出来ないよね。

  それで結局、かみさんの方が折れて結婚したと言う訳なんだ。しかし芸人世界にいた私と一般世界のかみさん。ふたりは価値観の違う世界にいたのだ。その二人が出会い。結局、彼女が、私の芸人世界の方に来た訳だ。
  だからこの「 TOO MUCH PAIN」と状況は結構似てる。半分ぐらいは同じだと思う。そしてもし、かみさんが、その時
「いやよ。私はこっちの一般社会にいる」と言ったら、それはやはり「TOO MUCH PAIN!」悲恋に終ったね。
  そしてその後も時々思い出しては

  TOO MUCH PAIN!

 いや、これは悲しいねえ。(円丈)

 
◎このコーナーは、結構感動した1曲があるのでまだまだネタはある〜〜ぞ!乞う。ご期待!

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