円丈7つの顔の男だぜ

 人は、いくつもの違った顔を持っている。
ワシだって三千の顔がある。今回はその中から特に七つを選んで紹介しよう!じゃあまあああ見て。

 


 

一番目の顔

コテコテの古典落語家だった

 どう?この雄姿!ホントにコテコテコテコテの古典落語家だったんだね。これでも一応古典の技量が認められて6人抜いての抜擢真打だったんだから。
 昭和46年頃、前名ぬう生当時のブロマイド!髪を七三にしてメガネを外して。よくこんなブロマイドで仕事が来たね。
勿論当時の得意ネタは『五人廻し』『錦の袈裟』『粗忽の釘』『不精床』と全て古典!「円生の秘密兵器」と言われていた。まあ、自分が言ったんだけど。メガネは、完全に新作に転向してからかけた。

 

ニ番目の顔

ある時は狛犬実況アナ

poto02-1.jpg (16084 バイト)

「ついに狛犬が起き上がりました!激しく怒っております。あっ、足が一本取れました。痛がっております.....」なんて中継してるみたいだけど。勿論、狛研主催の狛犬フィールドワーク川越編の中の一コマで円丈が狛犬の解説してるトコ。

 しかしこれだけみんなで真剣に狛犬を見てる光景は異常だね。でも聞いてる当人達は、これが楽しい!きみも入りなさい。

 

三番目の顔

もちろんボクサ−だった

  円丈37才の頃、共栄ジムで「ボクシング寄席」をやると言うので2年かけて体を鍛えた。
  7キロのジョギングに50mダッシュ30本。遂には腹に大人3人を乗せても平気になった。そこまで鍛えて当時のJフライの世界チャンピオン。渡嘉敷さんとエキジビション.マッチ(3R)を戦った。

 背中に「打倒渡嘉敷!」と書いて戦ったが、最後はあえなくダウン!しかしこれを昼夜2回,3Rの2回で計6Rだよ。手加減してくれたとは言え、2回で400発ほど殴られた。でも耐えた。
 翌日、体中に内出血のアザだらけ。一週間消えなかった。落語家だってやるときゃあやるよ!!
poto03-1.jpg (12695 バイト)

 

四番目の顔

結局、トップドレッサ−

 どうだね。このどんな派手なチンドン屋にも負けないこのアホさ。もう泣いちゃう。昭和54年頃、落語も何時までも着物ではいかん。なにか良い衣装はないかと模索してた頃だね。
 新作落語用に注文して作った高座着。知り合いに新進気鋭のファッションデザイナーだと言うので頼んだら。ただのデザイン学校の生徒だったんだ。でもって出来上がったのがコレ!ぶんなぐってやろうかと思った。着るのがイヤでイヤで。でも悔しいから2回着た。
(隣にいるのが、夢月亭清麻呂さん)

 で実はその少し前は、新作落語をやる時は、洋服でやっていた。昭和50年の新作発表会ではコレだった。こっちの方がまだズ〜〜ッとカッコ良い。

 しかし今の新作は着物を着てやる。もしかしたら新作は退化したのでは?

 

五番目の顔

実はカケコケコケおじさんだった

  CMに出て一番当たったのが、キンチョーマットの「カッカッカッカケフさん!...」だった。歩いていると「あっ、カケフさんだ!」と言われた。円丈なのに!昭和56年の撮影。

そのCM撮りの風景。実は最初の「カッカッカッカッ、カケフサン!」のタイプは、ある団体からクレームがついた。どこからなぜクレームかは「カッカッカッ!」と言う語感から推測して欲しい。

それで言葉だけ撮り直し。「カケコケカケコケカケフサン!」になった。なお、前にいる人が、CM界で名をはせた川崎監督。

 

六番目の顔

ホントは紙芝居屋

 昭和47年ごろ。落語だけじゃメシが食えない。そこで落語と一緒に紙芝居もやったいた。その当時の写真。
 組み立て式で中身は全てオリジナル。写真の紙芝居はNHKニュースのパロディねた。結構受けたね。あと子供用に作った『地球最後のタヌキ』は、幼稚園児が、キャ−キャ−大喜びしたね。今やってもウケさせる自信がある。落語セ−ルスマンなんて名刺を持って売り込みに行ったこともある。

 

七番目の顔

足立一のヘラ師だった

 ヘラヘラ笑ってるからヘラ師じゃない。もちろん、ヘラブナの釣りでヘラ師なんだ。真打昇進の時に高座にヘラ竿を飾ったのは私だけ。しかしこの姿!今ひとつ、颯爽感がない。どっかドン臭い。
 やはりコ−トを上州屋で買ったせいだろうか?いや、そんなことはない。上州屋と言えば粋な釣り具屋で有名だ。インドのヘラ師もここにコートを買いに来るぐらいだから。一応、竹のヘラ竿も3本ほどある。モチロンもらい物だが。

 

「円丈8番目〜14番目の顔の男だぜ」と言う企画もあることはあるが、期待しないで待ってて欲しい。では!!

◎円丈落語TOPに戻る