編 集 三遊亭 円 丈
自分で「円丈の大研究」もねえだろ?ホント、ホントその通り。でも大研究なんだも〜〜ん。果たして円丈とはなにものなのか?ここでは新聞の落語評や紹介などでどう円丈は評されてるのか。そしてその歩んだ円丈落語史なんかを集めてみたんだけど...。
| 紹 介 記 事 | 筆 者 名 |
| 「寄席おもしろ帖〜燃える男円丈健在〜」 読売新聞2002年4月28日日曜版 |
長井好弘氏 |
| 「東京かわら版2001年8月号巻頭インタビュー」New |
インタビュー構成大友浩氏 |
| 「こっけい味満ちた文明批評」-朝日新聞夕刊 1999.7.10 | 太田博氏 |
| 「噺の底に深い悲しみ」-サンケイ新聞夕刊 1998.3.14 | 桑原聡氏 |
| 「 新作は愛! 」-民族芸能を守る会会報1999.5.15 | 稲田和浩氏 |
| 「笑いの仕掛け人渡辺敏正さん」毎日新聞1999.8.15 | 文佐藤健氏 |
| 「亀戸エルナ−ド落語会の円丈紹介」1999.9.21 | 大友浩氏 |
| 「この時代に生きた証明」読売新聞『道』2000.9.6 | 田中聡氏 |
| 「円丈落語CD 21世紀へ」産経新聞2000.11.18 | 栫井千春氏 |
| 最大限の賛辞!円丈独演会パンフより」2000.12.5 |
大友浩氏 |
| インタビュー21世紀に向かって吠える-中州通信2001.1月号 | インタビュアー伍東道生氏 |
どれを?
| 円丈評論集 |
ここでは新聞などで取り上げた円丈評を拾い集めて見た。正直円丈をどう評論するかでその人の感性が分かると言うほどいろんな切り口で語れる。
さあさあ、人は円丈をどう評論してるのか?楽しみだなあ。本文はもちろん全て原文のまま。読んでみてみて!
(その1)
| 「寄席おもしろ帖〜燃える男 円丈健在〜」 (読売新聞2002-4-28日曜版) ..長井 好弘氏 |
| 「最近の前座は大学出が増えましたね。昔は『稽古しなきゃダメだぞ』 『ハイわかりました師匠!』だったけど、今はそうはいきません。『ちゃんと稽古しろよ』 『師匠はそうおっしゃいますけど、落語というのはヒストリカルなクライシスに直面していて、今までのような江戸ローカルエンタテインメントではダメなんです。れからはマルチウインドーでクライアントサーバーがビルトインされた新たなアーキテクチャーの構築が・・・』 『(卑屈に)頑張ってね』」 (三遊亭円丈、池袋演芸場で) |
芸の世界で頼れるものは腕一本−。そんなイメージがあるせいか、「噺家の高学歴化」がよくマクラで使われる。大半はたわいないギャグだが、あるベテランが面白いことを言った。
「学歴なんてどうでもいい。でもね、語り手と聴き手のレベルがかけ離れちゃうと、茨語は笑えませんよ。
世間が高学歴になれば、我々も同じようになる。理想を言えば、お客より少し落ちるぐらいがいいね」 世の中の縮図という、落語の一面を見事に言い表した言葉ではないか。しかし、いくら高学歴化とはいえ、「マルチウインドーでクライアントサーバーな前座」なんて実在するわけがない。それよりも三遊学円丈自身が六大学の出身だし、今時の若手よりよほど過激な噺家人生を歩んでいるのだ。
古典の名手、三遊学円生に入門しながら、裏打ち昇進後は創作落語一本。一九八〇年代前半に名作「グリコ少年」で売り出した時は、着物の絞の代わりにワッペンをつけて高座に現れ、客席も楽屋も仰天した。
その後も次々と異色作を発表し続け、パソコンを高座に持ち込むなどの実験にも挑戦。
円丈にあこがれた後進から、裔太郎、白鳥などの才能が育ったが、本人はおさまるどころか、高座で彼ら若手と張り合っている。現在は、CD十枚に及ぶ自選傑作集の新録音に夢中だとか。
かつて円丈の名刺の肩書は「燃える男」だった。エンジョーだから「燃える男」。五十七歳の円丈は今もメラメラと燃えている。(長井 好弘)
(その2)
| こっけい味満ちた文明批評 「朝日新聞夕刊」1999/7/10 ..寄席 国立名人会−文 太田博氏 |
新作落語のリーダー、三遊亭円丈の名作「グリコ少年」を、久々に「国立名人会」(6月26日、東京・三宅坂、国立演芸場)で聞く。二十数年前に創作して以来、改訂を重ねてもう「パート3」になる。
話は何の変哲もない。おまけ付きキャラメルが、少年の胸を躍らせた時代への郷愁である。と、言ってしまえば身もふたもない。実は、世代への共感、現代社会への風刺とこっけい味に満ちた上質な文明批評なのだ。いわく。「貧しかったが、少年たちが豊かな夢に抱かれていた時代、下町の駄菓子屋は、子供たちを感動させる品々であふれていた。時々、おまけをしてくれる店番のおはさんは『聖職』に見えた。マザー・テレサのように。そして、その家の娘はダイアナ妃……」
「駄菓子屋の中で一段と光り輝いていたのがグリコだった」
円丈は、グリコのキャラメル、というより、付いているおまけ(ブリキや木製、後年プラスチックになった様々な模型が中心だった)をその時代の象徴としてとらえ、物質文明に毒された現代社会を解剖してゆく。「学校では脱脂粉乳、家に帰ればジュースのもと、質素な飲みものに僕たちは十分満足していた。それが何ですか、今のペットボトル。どいつもこいつもひとのまねはかり…」
そのキャラメルもきらびやかに飾り立てられたスナック菓子に押されて、駄菓子屋で見付けることが容易でなくなったと、円丈は、大仰なしぐさで憂う。芸とも本音ともつかぬ嘆息に同世代の客も時代錯誤ととらえかねない若い聴衆も不条理な笑いに引き込まれる。「時代はキャラメルに背を向けている」「キャラメルは今、冬の時代にいる」
たかが一箱のキャラメルとは思えない不釣り合いの形容で円丈の世界は展開してゆく。騒々しい。が、聞き終わった後になぜか寂蓼感が胸を突く。
(太田 博)
【円丈一言コメント】
やや辛口評論が多い太田氏からみると、これはもう最大最上級の賛美と思っている。ワ−ルドカップで優勝したみたいな光栄と感謝の気持ちで一杯。うれしいよ〜〜〜ん!そうですよね。太田さん!!
(その3)
| 噺の底に深い悲しみ..三遊亭円丈 サンケイ新聞 夕刊1998.3.14『落語百景』より 文 桑原聡氏 |
三遊亭円丈(53)は、寓話(ぐうわ)と悲しみの落語である。映画「ランボ−怒りの脱出」を高座で再現するなどで受け、途方もないアイデアの爆笑派と受け取られがちだが、その本領は、人生のほろ苦さ、悲しみの表現にある。その円丈が、久々に本領を発揮した新作を発表した。
円丈のホームグラウンドとでも言うべき束京・渋谷のジァンジァン。「円丈炎の百番勝負」第五の刺客は春風亭昇太。知性の爆笑派昇太に対して、円丈は「悲しみの大須」で勝負にでた。大須とは名古屋にある大須演芸場のこと。そこは東京、大阪からこぼれおちた芸人がたむろする日本で一番悲しい演芸場と呼ばれる。
円丈は上下(かみしも)切らず、ひとり語りに近い形で、演芸場の様子とそこにたむろする芸人たちの生態を語る。光るのは独特の言語感覚だ。演芸場の廊下には斜めに建て掛けられた柱があり、頭を下げて通らないと痛い目にあうという。円丈はこの柱を「戒めの柱」と表現する。
また「白鳥社長室」と言う言葉でぐっと引き付け、その名の由来を説いていく。
屋根を修理中の職人が転落して社長室の屋根に穴を開け、そこから白鳥座がみえたというだけの話なのだが、うまいネーミングである。円丈が共感を込めて描きだした芸人のエビソードも紹介したいところだが、そのほとんどが実在しており、さらに新聞で使用できない表現がちりばめられているため、実際に高座に接しもらうしかない。客はしだいに、囲炉裏端で古老に寓話を聞かされている心持ちになる。寓話がそうであるように円丈の噺にも苦い笑いが仕掛けられている。
この日の高座を見ていた落語プロデューサーの渡辺敏正さんは、「哀しみの大須」が、名作の誉れ高い「グリコ少年」や「哀しみの束武東上線」に連なる作品であると指摘する。
「円丈さんの名作には必ず、底に悲しみが流れているんです。この作品もまさにそうです」
高座を終えた円丈はこう話し始めた。
「どうでした。噺家を三十年以上やっていますが、自分には永遠の素人という面があるんです。お客さんに笑ってもらいたいという気持ちは強いのですが、お客さんに合わせることができない。出発点はあくまで白分の関心なのです」
だからこそ、円丈は自分と客のズレに人一倍敏感だ。自省心の強い人だけに口には出さないが、「哀しみの大須」では、ガッチリした手応えをつかんだのではないだろうか。この日の客はこの新作を受容する感受性を確かに持っていた。円丈の時代が再びめぐってくるのだろうか。(文 桑原聡)
【円丈一言コメント】
ホントうれし〜〜いね。評論の中に円丈に対する愛情が感じられる。そして最後に「円丈の時代が再びめぐってくるのだろうか」で締めている。桑原さん!実はまだ「円丈の時代」が来ないんですよ。でも頑張りますよ。
しかしこの桑原さん、残念なことに別な担当に移ってしまった。
桑原さ〜ん、早く戻って来て〜〜え。
(その4)
| 新作は愛!
新作よもやま話..18 民族芸能を守る会会報 395号 1999.5.15 文 稲田和浩氏 |
新作落語について語る上でまず述べなければいけない落語家が、今日出演の三遊亭円丈だ。だったら早く述べろ、と言われそうだが、円丈さんは当会ではおなじみの顔、出演の時に書けばよかろうと思っていたら、なかなか出演しない。一八回目にしてようやくミニ円丈論のようなものを書く機会を得たという次第。
何が凄いって、新作落語に対する姿勢だろう。
「作りつづけて前のめりで死にたい」、
円丈さんは一時よく言っていた。修業時代に師匠から、
「古典は松の木、新作は草花、草花は派手で奇麗だが一年で枯れてしまう」
と言われた時に心の中で叫んだそうだ。
「そんなことはわかっている。一年で枯れる草花なら、僕は毎年咲かせてやろうじ
ゃないか」
と。そういう姿勢で今なお新たな創造を行っている。
70年代後半は、円丈さんにとって受難の一時期だった。嘱望されて真打ちに昇進したものの、すぐに一門の落語協会脱退騒動、やがて師匠円生の死…。そんな中で円丈さんの新作落語の芽が大きく開花していった。
70年代後半から80年代、円丈さんらの行った新作落語の活動『実験落語』は、古典落語や従来の既成の新作落語を否定。ぬるま湯に浸っているような甘口の笑いでない、魂をゆさぶる辛口の笑いを次々に創造、それまでになかったまったく新しい笑いを次々に生み出していった。『実験落語』は80年代半ばに活動を中断するが、90年代に入ると『応用落語』と名を変え、新たな新作落語の活動を展開する。
その頃、
「古典落語の達者な奴らを全部新作に引き込んで、古典の根を枯らしてやりたい」
なんて言ってたのを覚えている。古典が嫌いなわけではなかろうが、まさにその言葉を実践したわけで、今日活躍の新作派の若手たちは、円丈さんの影響を多く受け活躍の道を見出したと言っても過言ではない。
アタシは活躍はしていないが、円丈さんの影響を受けた者の一人だ。何に影響を受けたかって、なんと言っても、その言葉の重みだろう。
日頃の言動もあるが、落語の中に登場する言葉に重みがある。説得力、リアリティ、それらを含んだ登場人物あるいは円丈のナマの言葉がそこにある。それがギャグとして転化した時に起こる笑いが円丈落語の最大の魅力なのだ。
そうした新作落語の作り方というか、新作を作る原動力を、円丈さんは「愛」だと言
う。
何かを見て美しいと思う心、愛しいと思う心が新作を作るということだと。それは「美しい」でなくとも、「怒り」でも「悲しみ」でも「驚き」でも。心の中から込み上げてくる感情で新作を作るのだという。
こういうことが言えると思う。円丈さんの新作は、別に新作落語でなくてもいいのか
もしれない。円丈さんが、愛を語りたい、「美しい」や「悲しみ」「怒り」「驚き」などを表現できるものであるなら、落語じゃなくても、ゲームでも狛犬でも、なんでもいいのだ。
円丈さんはパソコンのゲームも作っている。残念ながらアタシはそのゲームをやる機会はなかったが、ゲームについてお話をうかがった時に、
「ゲームの世界は愛や正義について堂々と語ることが出来るから好きだ」
と言っていた。ゲームでもいいのかもしれないが、落語家である円丈さんにとって、そうした心の愛を語るには、やはり、落語が一番の方法なのだろう。
優れた落語作家であり落語家である円丈さんは、自らの心の叫びを面白く落語にし、巧みな技術で伝え、多くの笑いを生みつづけているということだ。
円丈さんは心の叫びがつづくかぎり、落語を作り、そしていつまでも語りつづけてゆくのだろう。
【円丈一言コメント】
かなり細かく円丈落語史を説明して頂き、ありがたい話です。ホント、いいなあ。
あまり顔と合わないから言わないけど。そう、【愛】です!今の愛は自己に向かい、他者に対する愛がない。私は愛してる。この世に存在する一切全てのもを!!!
ひゃあ、カッコいいなあ。一度言ってみたかった。
演芸作家稲田和浩氏は、円丈のやるあの名作『一ツ家早朝ラブスト−リ−』の作者で素晴らし完璧な人だ!なんだ、おめえらヨイショ合戦かよ?そうなんです!
(その5)
| 笑いの仕掛け人 渡辺敏正さん 毎日新聞 日曜クラブ 1999.8.15 文 佐藤健氏 |
落語界に新しい波が押し寄せている。ヌ−ベルバ-グ落語とでも言おうか。その仕掛人がこの人。肩書は落語プロデュ−サ−にして企画集団「落語王」主宰。月刊「自由落語」発行人。「落語ジャンクション」と称し落語の独演会、2人会、一門会を中心に浪曲や講談までも手がける。
「すべての始まりは三遊亭円丈師匠にお会いしたときからですね」という。
渡辺さんは「円丈以前と円丈以後」に落語を分ける。
「円丈さんという人はとにかく意識的に落語を変えようとした。一種の革命家ですね。たとえばシンセサイザー落語とか、ボクシング落語とか。ボクシングのリングの上で、客に四方から見られながら落語をやったらどうなるかとか、川下りをしながら落語をやったらどうなるかとか、そういうイベントだけでなく、落語のネタもハチャメチヤで、あらゆる多様性を試みた。演ずるよりもまず行動してしまう。そのエネルギーは大変なものです。そのお陰であとから来る若い落語家はずいぶん助かったと思いますね」
その円丈に続いて、春風亭昇太、三遊亭新潟、柳家喬太郎らが続々と出てきた。
渡辺さんは「新作落語」という言葉はほとんど使わない。「新作落語というのは古典落語に対する言葉ですよね。円丈以後のこれらの若い落語家はもちろん新作や創作が主体なんですが、古典落語をやってもその語りの方法論が新しければ落語の新しい波ということができる」
その「新しい落語」の定義は。
「落語はいま生きている時代を自分の言葉でしゃべっていいんだということです。現代語を勝手に使った落語と言っていいでしょうね。それを始めたのが円丈師匠なんです。もっともその前に立川談志師匠が、新作落語をやるのはいいことだけれど、新作が古典落語の発声や話法でやるのはおかしい、と指摘をしていましたけどね」
その渡辺さんが円丈以後の3人と堆奨する落語家について説明してもらおう。
「昇太はある意味で落語エリートですね。学生落語のチャンピオンになったこともあるし、NHK新人演芸コンクールで優勝したこともある。円丈師匠の弟子になろうとしたが、先輩がいたので春風亭柳昇師匠の弟子になった。この柳昇師匠という人が自由弄放に弟子を育てる人で、その芸風を受けて昇太も実に伸び伸びと芸をやる」
説してもらおう。
「新潟は日大の文芸学科で、童話研究会かなんかに所属していたらしい。新作落語をやれば創作もできると思い、円丈師匠の弟子になったけれど、それまでは落語のことはほとんど知らなかった。落語の所作のセオリーなんかほとんど無視して自分が作った法則でやっているが、現代の若者にはそれで理解できてしまう」
「喬太郎はさん喬師匠の弟子ですが、円丈以後、一番大きな存在になることを予感させる落語家ですね」
ところでその渡辺さんにとって落語の笑いとはなにか。
「落語家はいわゆるギャグが笑いだとはらえていない。彼らは噺のなかに笑いの仕掛けをたくさん作つておくんですが、その基本は意外性ですね。そこでそんなこと言うのかという意外性です。よく受けるという言葉がありますが、受けるというのは単に笑わせたというだけでなく、シーンとさせたり、感動させても受けたことになるんですね」やはり笑いの奥は深い。
【一言コメント】
これはお笑い関係をプロデュ−サ−を毎回紹介するコ-ナ−で落語プロデュサ−の渡辺氏に対するインタビュ−。渡辺氏には、以前「応用落語」を手伝って頂いた。すべてが私のことではないが、流れとして全文掲載した。
インタビュ−の中で「円丈以前と円丈以後」と言う言葉で円丈と今の若手の対比をしている。さすがプロデュ−サ−。見るとこをチャンと見てます。マル!
(その6)
| 亀戸エルナ−ド落語会の円丈紹介 1999/9/21 文 大友浩氏 |
【円丈一言コメント】
大友浩氏は落語情報誌「東京かわら版」の編集長。もうベタほめでうれしい。落語会のパンフレットのプロフィ−ルでけなす訳ないけど。でもうれしい!
「ファンタジー」と「イマジネーション」のふたつの言葉で円丈を表現する大友さん。ふ〜〜ん、なるほど。そうなのか?でもうれしい。
(その7)
| 「この時代に生きた証明--落語家三遊亭円丈」 2000年9月7日夕刊 読売新聞「道」 文 田中聡 写真 吉岡毅 |
| さんゆうてい えんじょう 1944年、名古屋出身。64年三遊亭円生門下入門・ぬう生で前座。69年二ッ目、78年に円丈で真打ち昇進。80年度フジテレビ放送演芸大賞最優秀ホ−プ賞受賞。 |
プロ野球選手の掛布雅之と蚊取り線香のCMで共演したのは一九八〇年だった。「カ、カ、カ、カ、カケフさん」と甲高い声がテレビから流れていた。この年の九月、ネタ下ろししたのが、「悲しみは埼玉に向けて」だ。
東京から見て埼玉県への″入り口″にあたる北千住を舞台に、「三階建て以上の建物がない」 「駅前にはパチンコ店が二軒だけ」などとギャグを交えながら長距離通勤者の哀愁を漂わせた、この時代の代表作の一つである。
それから二十年、今夏は、その改作に取り組んだ。「来年二月、初めて本格的な落語のCDを出そうと思いまして。そろそろ自分の落語も残すべきかな、と思うようになった」とテレ笑いする。
十二月で五十六歳。落語家生活も三十六年。
「自分で作った噺ですら、何度も高座にかけていると飽きてしまう」と自認して、二百本以上の新作を作り続けて来た「実験落語の旗手」も、そろそろ集大成の時期に入って来た。
関西の笑いが東京を席巻する「パニック・イン・落語界」、少年時代からのキャラメルヘの思いを語った「グリコ少年」、手が机から離れなくなってしまった会社員を主人公にした「ペたりこん」−−・。
現実を思いきりデフォルメしたり、SF的な発相やを大胆に取り込んだり。テレビやラジオで活躍した七〇年代後半から八〇年代中盤にかけての作品は、従来の新作落語とは明らかに一線を画していた。
「それまでのは設定こそ現代だが、内容は古典落語の踏襲。柳家金語楼先生などの落語芸術協会の人たちが作っていた落語を否定することから、ボクの新作は始まった」
と振り返る。「赤塚不二実のナンセンスな感じ、東海株さだおののほほんとした雰囲気」などを漫画から学び、「その時代で、自分自身が興味を持ったこと」を加えていく。
社会事象、流行現象などを盛り込んだ「その時代でなければ生まれない落語」は、今や新作落語の主流になっている。
着物にローリング・ストーンズのワッペを付け、自分の独演会では出囃子にロックを使う。今では珍しくなくなった演出の多くもこの人が始めた。その背買には、「とにかく目立たなければ生き残っていけない」という危機感があった。
真打ち昇進問題をめぐって落語協会会長の柳家小さんと対立した師匠・三遊亭円生が協会を離脱して「溝語三遊協会」を旗揚げしたのが、七八年五月。真打ちになった痙後だった。円生が急逝したのは翌年の九月。混乱の中で後ろ盾を失い、落語協会に戻った。
「オレは孤児になった」という思いが、
「一番好きなことをやってダメなら、あきらめもつく」
という気持ちにつながった。それから一年で、約三十本の新作を発表した。
「師匠がいなくなったからこそ、思い切って過激な作品もできた」という。
「芸を追求して、芸に殉じた」師匠・円生と「どんな形であれ、お客さんを楽しませることを追求した」株家三平。この二人を、今でも尊敬しているという。古典落語で「昭和の名人」と呼ばれた円生の下で落語の基礎を学び、「死ぬ間際まで必死で客に受けようとしていた」三平の心意気を胸に、高座に上がり続ける。
その精神は、後輩にも伝えたいと思う。
「落語家は客の前に出るだけでなく、後継者を育てるまでが仕事」という。弟子は五人。春風亭昇太、柳家喬太郎、株家彦いちら、影響を受けた「新作派」の若手も多い。「最近は負けたかな、と思う高座も多い」
と苦笑しながら、「でも、そうやって落語の歴史は作られるんでしょう」とつぶやく。
今年に入って「あんたのせい家族」という噺をネタ下ろしした。モラルが破壊されつつある現代社会を下敷きにして、「すべて都合の悪いことの責任を他人に押し付ける」家族の姿を描いたものだ。 「最近の社会情勢はパロディーや皮肉にするにも暗過ぎる。もう少し、笑い飛ばすことができる状況にならないかねえ」と嘆きながら、「人付き合いが苦手なボクにとって、高座は自分の考えを好きなように話せる場所。『この時代に生きた』という自己証明のために、落語を作り続けるのかもしれない」と笑ってみせた。
【円丈一言コメント】
いやあ、あの読売新聞にコレだけの分量の記事が載ったこと自体、田中氏に感謝したい。それに内容的にもスンゴイ良い書き方がしてあり、ホントに嬉しい。ただひたすら感謝!感謝!
(その8)
| 大友氏による最大限の賛辞! 「CD録音用円丈独演会のパンフより」2000/12/5 ..大友浩氏 |
この落語会はCD『三遊亭円丈落語コレクション』(ワザオギ)のための公開録音です。ここで演じられた「芸」が、お客さまの笑い声が、記録され、CDという形で永遠の時間の中に刻まれます。
三遊亭円丈は、昭和から平成にかけての時代に、新作落語というジャンルで、とてつもなく大きな足跡を残してきた巨人です。まだ現役でバリバリ活躍中ですから、それほどありがたみを感じなかったりするわけですが、考えてもみてください、もしいま円丈がポックリいっちゃったら(師匠、すいません)、落語界はどんなに大きなものを失うことになるのかを。
私は、円丈の偉大な業績を、つまり素晴らしい新作落語の数々を、記録しておきたいと考えました。そして、それを行うのは、気力・体力がともに充実している今しかないと判断しました。
円丈自身も乗っています。燃えています。「自分の仕事を総括して、円丈落語のパワーを見せつけたい」というエネルギーに満ちあふれています。どうぞこの、永遠に記憶されるべき時間を、円丈とともに過ごしてください。
三遊亭円丈は、いったいなぜ、こんなに面白い、こんなにバカバカしい、そして、こんなに心にしみる名作落語の数々を作ることができるのでしょうか。 この大問題に簡単に答を出すことはとてもできませんが、その理由の一つに、円丈のたぐいまれな「想像力」があると考えています。
「想像力」には、現実ばなれした空想的な「ファンシー」と、ものごとの本質をとらえなおす力をもった「イマジネーション」の二種類あるといわれていますが、円丈の想像力はまちがいなくイマジネーションの方でしょう。落語界随一のイマジネーションの持ち主だといっても過言ではないと思います。
だから円丈の新作落語は、奇想天外なアイディアに満ちているように見えて、その底に人生をうがつ深みを備えているのです。円丈の笑いは、単なる表面的な薄っぺらい笑いではなく、時としてその裏側に「生きることの悲しみ」がピタリと貼りついています。ふつうは正反対のものだと思われている「笑い」と「涙」を一つのものにしてしまうだけの根源的な力を、円丈のイマジネーションは持っているのだと思います。
…とまあ、堅苦しい「円丈論」はさておいて、どうぞお気軽に「円丈ワールド」をお楽しみください。
◎名古屋版金明竹
円丈作品には、出身地である名古屋を題材にとったものがかなりあります。これもその一つで、なんと古典落語に「名古屋」をふりかけてしまいました。
◎「一ツ家ラブストーリー」 作稲田和浩
稲田和浩作の新作落語ですが、その後口演のたびに手が加えられているようです。老人が主人公の噺ですが、これがただのお年寄りではありません。年を取るとはどういうことか…、青春とは何か…、愛とは何か…。そんなことを考えさせられてしまいます。
この噺を聞くといつも、腹を抱えて笑いながら、同時に不思議な感動に包まれてしまうんです。
(円丈落語コレクションプロデューサー・大友浩)
【円丈一言コメント】
ノ−コメント!なにがノ−コメントだ。いやあ、正直恐ろしいほどの賛辞だ。しかしこの文章から大友氏のCD録音にかける意気込みが伝わってくる。と言うことは私としてはもう目一杯やる!それが大友氏の労苦に報いる唯一の方法だ。
(その9)
| 円丈落語CDに コレクション21世紀 産経新聞2000年11月18日 夕刊 文 栫井千春氏 |
昭和39年、三遊亭円生に入門して以来、一貫して新作落語を作り続けてきた三遊亭円丈が、自作ネタのライブCD「円丈落語コレクション」の製作に取りかかった。東京.新宿プ−ク人形劇場で開いている「新作落語2000」の高座などで録音を始めているが、12月5日にはホ−ルでも公開録音がスタ−トする。円丈は「生きている限り続ける“ライフ.ワ−ク”にしたい。来年春から夏をめどに第1弾をリリ−ス、そのあとは隔月で」と意欲を燃やす。
円丈が新作落語に手を染めて以来、三十数年、作ってきた落語は、三百をくだらない。観客が受け入れないと捨ててしまわなければならないのが新作落語も”宿命”。円丈によると、パソコンに残している百ぐらいのネタのうち、録音の候補として挙げられるのが三十ぐらい。ふだん高座にかけているネタのほか、昭和五十年代の落語協会の分裂事件に題材を取った『パニックイン落語界80』など、しばらくやっていなかったネタをリメ−クして残したいという。
ようやく新作落語が、市民権を得てきたと円丈は実感している。
「子供のころ、だれもが昔話を聞かされて育ち、若い人たちは怖い話を身を乗り出して聞くように、ヒトには、語り芸を受け入れる何かが遺伝子の中に組み込まれている筈。以前に比べ高校生など、若い観客たちが、落語に引き込まれている。落語のほわっとした部分が、いやしを求める時代のニ−ズにあってきたんじゃないかな。古典に比べ、落語を知らない人でも入りやすいのが新作なんです」
公開録音十二月五日午後六時四十分から東京.亀戸エルナ−ドホ−ルで。千円。 問合せは亀戸エルナ−ド電話03-3638-2811
【円丈一言コメント】
これは円丈評ではなくCD録音用円丈独演会を知らせてくれた記事だ。この産経新聞の栫井氏は、記者の中では一番勢力的に落語を聞いている方だと思う。それに落語を愛してくれてる人でもある。我々落語家は、こう言う栫井落語氏のような人に落語嫌いにさせないようにもっと頑張る必要がある。
| インタビュー記事 |
| 「LB中州通信」 2001 1月号 定価500円 【東京編集室】 TEL03-3235-9214 「三遊亭円丈--世紀に向かって吠える!」 インタビューア伍東道生氏 1994年には同誌で円丈特集を組んで頂いた。 中州通信さんはホントえらい!! |
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伍 東 平成十二年の十二月からCD制作に乗り出すということで、そのライブを由定期的に行うそうですが、CDを作ろうというのは前々から考えていたことなんですか?
円 丈 いや、ないですよ。もともと何かを残そうなんて考えてない人間ですから。でも、まあ、それもいいかなって感じですかね。はいはい。
伍 東 するとそれはどなたかに進められたわけですか?
円 丈 『東京かわら版』の大友浩編集長からそんな話があって。とにかく出すんなら、一枚とか二枚じゃなくて、ネタがあるまで出し続けようということで、ええ。
伍 東 音として残しておくというのはいいですね。
円 丈 そうですね。映像がないぶん落語はいいかもしれません。
伍 東 十二月からそれ用のライブを聞いて。
円 丈 そうですそうです。独演会を。で、とりあえず十作か十数作演じて、その中から組み合わせを考えながら出していこうと。同じ作品も何回かやってどちらかいい方を録ろうと。なるべくいい状態のものをね。
伍 東 それはその独演会でやったものを基本的に録音をする?
円 丈 他でも録れるんならそれも録ろうと思ってます。寄席なんかだと十五分ですからね。二十数分はほしいんですよ。マクラだって少しはないとね。それでも録れればと思ってるんですけど、なかなか録らせてくれないもんですから(笑)
伍 東 出し物はもうある程度決めてらっしやる。
円 丈 はい、ABCとランクをつけて二、三十本はあります。それからさらに増やしていこうと思ってるんです。なんかね、後輩たちにも何か残してやろうかな、と思ってるんですよ。というのはですね、どうも地震がきそうなんですよね。
伍東(笑)。
円 丈 いや、ほんとに。今ね、いまだ演じてない台本がいくつか残ってるんですよ。そんなものは、今のうちに仲間とか弟子たちに渡しておこうと。そいつが、その中のネタを開拓してやるぶんには勝手にやればいい。方法はいっぱいあるんだから。ただ、著作権はオレにあると(笑)。とにかく家は足立区ですから。
伍 東 (笑)
円 丈 液化現象がおこる(笑)。そういうのもひつくるめて、そろそろ残していけるものはなんとかしておくべきだなと思い始めたんですよ。 新作落語をやってる仲間には、こういうのがあって、もしやるならやってくれ、みたいな感じで、自分自身がそういうことをしなきやいけない時期にさしかかってきたような気もするんです。
伍 東 何本くらい残っているんですか?
円 丈 九十本以上は書いてますから。別にそれを形にして演じなくても、たぶんなんか感じるもの、なるほどこれをこういう風にして作ったのかとか、そんなことが分かるはずなんですよね。そういう意味でも被らにとってプラスになればいいなと。はいはい。
伍 東 でも、それなら活字の世界で「円丈新作落語全集」というのが作れますね。
円 丈 一般のお客さんにも、とも思うんですけどね。ほんとは「落語全集」を考えたんですよ。でも、はとんど、そんな話がなくてですね (笑)。今、出坂社はたいへんですよね(笑)
伍 東 うちは、ずっと大変なもんで(芙)よその大変さがよくわからない (芙)
円 丈 マスコミもはじけて欲しいですね。
伍 東 結局なれ合いですから。
円 丈 落語協会もなれ合いですよ。よりよい方向に発展するわけでなく、改革なんかまったくありませんからね。この指とまれって好きな人が出てきてワーソとやって、一回離合集散したほうがいいんですよ。そのときはオレは師匠なんかいらないからとか、じやあ誰にしようか、それが芸人だと思うんですよ。こつちの師匠の方が仕事くれそうだし、それでくつつくとか。
伍 東 (笑)
円 丈 そういうものがモロに出てきていい世界だと思うんですよ。そうするとその中で移動が行われるわけです。いまだと年功序列みたいになってるから、ほんとはこいつもっと上いってもいいはずなのに、序列がそうなってるから上がれない。
伍 東 中にはここまでがまんしてきたんだから、いまさら変わってもらっちゃ周るという人もいるでしょうからね。政治家なんかもぇてうなんでしょうけど。
円 丈 ただ、現実の方が変わりつつあるんじゃないですかね。お客さんの側の視線がすでに変わりつつあるように思うんですけど。 この間も名古屋の大須演芸場へ行ったんですけど、営業だと思っていったら独演会だったんですね。驚いたんですけど。
伍 東 (笑)
円 丈 三日間やって、名古屋のお笑いはというとちょっとテカツぼいんですね。ちょうど大阪と東京の間で、大阪のコテコテまでいかなくてもコテが一つついたくらいのものを喜ぶんですね。だから東京的な笑いではやりにくい部分があるんですが、そのときはだいぶお客さんも喜んでくれましてね。はいはい。三日間で六席やらせていただいんですけど、はずれたというのがあまりなくて、しいていえば名古屋弁でやった古典の「金明竹」が一番受けなかったかな。他は全部新作でけっこう喜んでくれたんですよ。はい。
いつもお客さんに合わせようとかもっと判りやすくしようとか、同じストーリーでやっても、判らない反応がないというのはどこかで説明不足だったり何か足りなかったりするわけですよね。だけど無駄な部分を取っていくとそこそこは判ってくる。そうすると笑ってくれるようになる。マクラでもう少し笑わせてから入っていくとか。
最近高座で、よくマクラで(パソコンの)マウスを持ち出したりしてるんです。煙草を吸うのも扇子を使わずにマジでやってるんですけど、これがドカンと受ける。だけど、そんなに面白いとは正直思ってないんですよ、実は。思ってなくても受けるということは、お前はそういうことをもっとやってくれ、という僕に対する要求なのかなと思う。もっと既成の価値観を壊すようなことを僕にお客さんは欲しているのかな、と。マウスだってただ動かして、クリックするだけですからね。
伍 東 落語という概念を壊してますもんね。
円 丈 まあね、受ける間はやろうなんて思ってますけど(笑)。だからお客さんが、求めてくるモノも少し違ってきたんじゃないですかね。
伍 東 師匠は、新作の時代が来るのが自分の計算より十年遅いとおっしゃってますか....。
円 丈 (笑)。やっぱり変わりたくないんでしょうね。
伍 東 保守的なんですね。 円丈 なんかお客さんの傾向として落ち着いて笑いたいというか、ただハハハじゃないみたいなところがありますね。「癒しの時代」なんですかね。
われわれ日本人は、だれからとは言わないまでも昔ばなしというのを聞くという習慣があるじゃないですか。そういう民族としてDNAが連綿とつづいてるような気がしますね。
逆にいうと今のコントがめちゃくちゃ浅いというか、なんなのソレ、というところがあるじゃないですか。こんな混沌としたときにそんなんじゃないよみたいなとこってあるじゃないですか。高校へ行って感じるのは、笑うところは笑いますし、昨年辺りからガラッと変わりましたね。高校生が落語を聞くようになったんですよ。 あの世代が聞くということは、心に何だろうというものがなければ、聞いてないわけですよ。彼らにとっては新鮮な感動なんじゃないですかね。ただそういうものをあまり闘いてないから反応の仕方が、笑っていいのとかね、なんかぎこちないというか判らない。逆に言うとそれだけ何か新鮮に伝わっているんじゃないかと思うんです。 だから今テレビでやってるコントは誰からも支持されてないんじゃないか、と思いますよ。高校生が主体だなんてうそでね。誰が面白がってんだろうと。
伍 東 スタジオに来てる一部とか。
円 丈 (笑)だから、先祖の血というか、本能的なものがあるんじゃないのか、一人がしゃべるなんてなんか落ち着くんだと思いますよ。それが絶対あるような気がする。それがある限り落語はぜんぜん大丈夫だなと思ってるんです。だからといってテレビの主流にはなれないと思いますが(笑)
| 東京かわら版2001年8月号巻頭インタビュー インタビュー・構成=大友浩 |
【今月のお客さまは三遊亭円丈師匠です】
| 円丈師匠は、ご存知のように新しい時代の新しい新作落語を切り拓いた「新作落 語のカリスマ」です。「ぺたりこん」「即興詩人」「グリコ少年」といった初期の傑作群によって、ファ
ンを大いに楽しませただけでなく、新作を志す若い噺家さんたちに「そうか、落語は こうやって作ることもできるのだ」と知らしめた功績は、まことに大きいと言えるで
しょう。 落語王こと渡辺敏正さんは、「円丈以後、新作落語のあり方が変わった」という言 い方をしますが、まさにその通りだと思います。かつての『実験落語』同人から最近 の『落語21』に出演する若手まで、当人が意識するとしないとにかかわらず、円丈 師の影響を受けていない噺家さんはいないといっても過言ではありません。 そうして時代を切り拓き、現在もなお走り続けている円丈師の「仕事」を後世に遺 そうと、本誌・大友が言い出しっぺとなって、『円丈落語コレクション』というCD シリーズを作ることにしました。かなり前から準備はしてきたのですが、八月下旬に、ようやく記念すべき第一集をリリースする運びとなりました。 八月三〇日には、三宅坂・国立演芸場でリリース記念の独演会も行います。円丈師 が二席つとめるほか、高田文夫・春風亭昇太という豪華なゲスト陣が華を添えて下さ います。加えて、来場者の一〇人に一人に円丈CDが当たる、というプレゼント付き です。皆さま、ぜひお越しください。 |
大友 高座を音に残したくないと考える噺家さんがいる一方で、CDを出してもいい
とお考えになったのはどういうお気持ちからですか?
円丈 それは、何かを遺すべき時期に入った、ということですよね。 振り返ってみると、八〇年代九〇年代は何だったんだろうという気がするんですね
。「古典はダメになる、新作がそれを補っていかなければ落語全体がダメになってし まう」と言い続けてきたわけですが、今こそその時代に入ったんだと思うんです。
大友 いよいよ新作の時代だと…。
円丈 これから先、何が起こるかわかりませんけど、一つだけ確実に言えることは、
これから上ることはあっても落ちることはあり得ない、ということですよね。
大友 古典的なもの全般がダメになっていくということですか。
円丈 一番の根本は何かというと、落語は大衆芸能なんだということなんです。この
視点が欠落してるんですよ。大衆芸能は、現代から離れては成立し得ないんです。(現実の世界と)古典(的世界)との差は当然出てきてあたりまえですよね。昭和
三〇年代に、古典の世界みたいなものは全て終わったんですよ。文化・文政時代にで きたものは、昭和二〇年代三〇年代になって終わったんです。番頭さんが出てくるよ
うな世界というのは、三〇年代まではかろうじてあったけれども、四〇年代以降は、それが終わって「現代」が始まったんですよ。で、ぼくの新作は四〇年代以降のもの
なんです。
生活様式が全く変わってしまったわけですよ。それまでは(噺の演出などを)少し ずつ変えながら、古典落語がその時代に合うような努力をしてきたわけですよね。そ
れがやっぱり、四〇年代に入るとどうにも対応できなくなったのが現実だと思います 。その亀裂がどんどんどんどん広がっていったんですね。
大友 よく関東大震災までは江戸の生活感が残っていた、と聞きますが、それが実は
昭和三〇年代ぐらい、「戦後が終わった」と言われる時期まで残っていた、というこ とですか…。
円丈 狛犬もそうですね。昭和三〇年代ぐらいまでは、手彫りができる石工たちがい
たんです。そういう流れですよね。日本にはダンディズムがあるんです。つまり、「男はこうしなければならない 」とか「父親はこうでなければならない」というような。それは実は中身を問わない
んですよ。そのダンディズムは昭和五〇年代に終わったんですけれども、そのあともダンディズムの残滓のようなものが残ったんですよね。「やさしい父親らしく見せる
」みたいな。
でも、今こそ中身を問う時代になってきたんですね。そういう意味で、ぼくは今、 とても自分に自信がありますよね。 いろんな意味でぼく自身が、いま変わろうとしているんです。ぼく自身というより
も、周りの状況が移行しつつあるという気がしますね。
大友 具体的にはどのようなことですか。
円丈 落語界でものすごい選別がこれから始まるんだと思いますね。生き残れるヤツ
と生き残れないヤツの選別が。 いま仕事がないんですよ。飯が食えない人は本当に食えない時代になってくるんで す。
大友 生き残れる人と生き残れない人はどこで分かれますか。芸ですか?
円丈 それは芸だったり、生き方だったり、ヨイショだったり、いろいろだと思うん
ですけど、トータルで芸人として何とかならなければ…。「おれは古典落語をやって るんだ」というだけではダメだと思うんです。 今までは競争原理が働かなかったんですけど、いわゆる市場経済によって競争原理
が無理やり働かされることになると思うんですよね。 円丈 ここ一、二年、お客さんが新作に対して差別みたいなものをしなくなってきた んです。
大友 とおっしゃいますと?
円丈 素直に笑うようになったんです。 われわれ自身が練れてなかったということもあるかも知れないんで、本当のことは
わからないんですが、雰囲気としてここ一、二年で明らかに変わりましたよね。ぼくは落語界の小泉さんみたいなもんで、変わり者だなんだと言われてきましたけ
れども、じゃ、俺の言ってきたことは間違ってたかというと、間違ってないんですよ 。
ぼくは大衆芸能をこれからもやり続けるつもりですし、逆に大衆芸能は今だと思う んです。現代から離れて大衆芸能はあり得ない。それは大前提ですね。その中で古典
というか落語のもっている本質的な要素は残しつつ、ということですね。
大友 本質的な要素というのは、例えばどういうことですか?
円丈 笑いの中にもう少し厚みとか底とかがあれば、というようなことですね。
大友 なるほど。お客さんが変わってきたのは何が原因だと思われますか?
円丈 世の中変わったんですよ。世の中変わると変わるんですよ。全ての物事に関係
なく落語があるなんてことはあり得ないわけですよね。共にあるわけですから。
大友 このCDは、「円丈ワールド」の全貌がわかるような形にしたいわけですけれ
ども、師匠としては何枚ぐらいお出しになるつもりですか。
円丈 わかんないですね。
大友 永遠に?
円丈 永遠は、どんなものでも無理でしょう(笑)。…やっぱり二〇席ぐらいは何とか行きたいと思いますね。
大友 二〇席じゃ足りないでしょう。
円丈 とりあえずの目標は二〇席に置いておいて、考えながらやっていきましょう。
はじめから三〇席とか一〇〇席とか言ってもね。ある程度質が落ちたらやめた方がい いわけです。クオリティが下がっても出し続けることは、お客さんを裏切ることにな
りますからね。
大友 第一巻に入るのが「悲しみは埼玉へ向けて」と「一〇倍レポーター」ですね。
「埼玉」は手法的にも非常に新しいですね。
円丈 できてからもう二〇年以上になるんですけどね。二〇年経ってもある種の新鮮
さがあるというのは、やっぱり現代なんですよね。あの頃から既に。その中で、細か いシチュエーションだけいつも変えてるという感じですね。そういう意味で、ぼくは
やっぱり現代落語をやってきたという気がしますよね。 「ぺたりこん」なんて噺を前にやりましたが、今でいうリストラを扱ったような噺 で、ああいうテーマっていうのは、「現代として永遠」みたいなところがありますね
。
大友 不思議に古びないですね。
円丈 そういう社会構成ができあがってから作った噺ということもあるでしょうね。
大友 「埼玉」の舞台である北千住の描写は、何年かごとに変わるけれども、本筋は
変わらないわけですね。
円丈 この噺は、北千住とか埼玉のことを、ある意味でボロクソに言ってるわけです
よね(笑)。あんなにボロクソに言ってて、正式なクレームというのは一度もついたことがない んです。というのは、あの中に、そこに住んでいることの悲しみというのがあるんじ
ゃないかと思うんですね。同じ目線でものを見てるみたいな。
『アサヒグラフ』に、ぼくが都営住宅に住んでいた頃の写真が掲載されたんです。 家族が写っていて、こっちに襖があって、それが破れてるんです。家族がまとまって
写っている写真なんですけど、何となく、ある悲しみのようなものがあるんですよ。 何ていうんですかね…。そこにぼくの原点があるんだと思うんですよね。ぼくはあれがあったから「悲しみ
は埼玉へ向けて」ができたと思うんです。それから「即興詩人」とかもね。
大友 うーん、わかるような気がします。
円丈 ぼくは視点がうんと低いんだと思います。(対象と)同じ視点でものを見てるというか。ぼくの中で、滅びゆくものというか、敗者に対するものすごい「憐れみ」があるん
ですよね。
大友 それはとても感じます。
円丈 それはぼくが「隼人族」という、大和朝廷に征服されてしまった人たちの末裔
だからだと思いますね。滅び去るものに対してとことん同情してしまうところに、ぼくのもう一つの原点が あるような気がしますね。狛犬をはじめたきっかけも、公園に捨てられた狛犬を見て、可哀想で可哀想で…と
いうことからだったんです。
大友 「先代」という概念が『THE
狛犬!コレクション』(立風書房、一九九五年) に出てきましたね。
円丈 そういうことをぼくは一生涯忘れてはいけない、都営住宅に住んでいた(時代
の)ことを、ぼくの心の故郷としてこれからも生きていかなくちゃいけないんだとい うのが、ぼくの考え方なんです。
大友 そう言われてみると、「あんたの聖家族」にしても、家族で暮らすことの悲し
みのようなものがありますし、「稲穂のじゅうたん」にしても、食べた物に対する憐 れみの心を核にして噺ができあがっています。
円丈 だから、ぼくにとって、うんと金が入って、車を持って、運転手つきで生活す
るというのが、一番の悪夢ですね(笑)。
大友 八月三〇日に『円丈CD発売記念独演会』をやるわけですが、高田文夫先生と
春風亭昇太さんと、ゲストも豪華ですね。
円丈 もうぼくは出なくていいんじゃないかと(笑)。
大友 いえいえ。師匠は二席おやりになるということですね。ここでやった高座がま
たCDに収録される可能性もあるということで、大勢の方にお運びいただきたいです ね。
円丈 とにかくぼくは、自分なりの努力をこれからもし続けるということですよね。
新作を作り続けて、仲間を増やしていきたいなと思います。常に整備しながら、三〇本ぐらいはいつでもかけられるだけのネタをストックして いたいですね。古典落語をやってきた時代と同じように比較されて当然だと思うんで
すよ。そうすることが、ぼくの落語界に対する恩返しなんだと思うんですよ。そしてわれわれは後輩たちに託して死んでいくですよ。それをずっと続ければ落語 は不滅なんです。そういうことだと思いますよ。
(インタビュー・構成=大友浩)