天城湯ヶ島謎no狛犬

  〜裕子の中伊豆ブサイク狛犬兄弟説〜
                      edter  アレンジ円丈

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ども円丈です!!突然ですが、今回は『裕子の天城
湯ヶ島双子狛犬の謎』を紹介しよう。んんじゃあ。
                               はじまり、はじまり〜〜っ!

謎のブサイク狛犬

.修善寺八幡神社 静岡県修善寺町横根3215
宝暦13年11月吉日(1763年)(奉納)遠藤文右衛門 (凝灰岩)

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 それはそれは、、、

 そもそもことの始まりは修善寺町。
この八幡神社のこのコ達からでした。

 それは、宝暦13年と言うソコソコ古い
ブッサイクなコ(狛犬)でした。

 二人(二匹)とも脚が、外側に湾曲してて、これを作った人は、イヌ、ネコを見たことがあるのかなと思ってしまいます。

 

(修善寺八幡:阿の狛犬)


ama-ha1.jpg (18054 バイト)

それともピカソな奴?右のコの方が、味があります。

ところが修善寺のこのコ達を見てから。天城湯ヶ島に行ったのです。

すると
な、な、な〜〜〜〜〜んと?

湯ヶ島でも同じようなブサイク狛犬に出会うことにと言うコトに出会うのでした。

さらに続く!!

 

(修善寺八幡:吽)

 


 
((ブサイク狛犬メニュ−))
○謎のブサイク狛犬2...天城神社
○謎のブサイク狛犬2...天城神社
○狛犬むかしばなし
○天城湯ヶ島は、こんなトコ

  


大木裕子プロフィ−ル

そう遠くない昔,神奈川県茅ヶ崎市に生まれ育つ。大学在学中より、
教授との折り合いが悪く、卒業後は、因果な高等遊民を自称しつ
つ、エンゲキ係数も高い生活を送る。

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謎のブサイク狛犬その2


「天城神社」静岡県天城湯ヶ島町湯ヶ島305 
  明和ニ乙酉歳五月吉日(1765年)
(奉納)元**住 **屋長**門 同住 同屋*八 (凝灰岩)

ama-0.jpg (16963 バイト) これが、天城湯ヶ島町にある天城神社の問題の狛犬です。天城神社はかの文豪井上靖の生家近くにあり、作品のなかにも登場している神社です。場所は伊豆箱根鉄道修善寺駅よりバスにて30分のかなりの山奥。


修善寺で見たのと殆ど同じ狛犬。
正面に向かって右のコが「ア」!「へ」って言う気もしますけど。それから左が「ブ」...な訳はありません。

「ウン」です。


すごい謎..2頭とも同じ方を向いてる


そしてなんとこのコ達は、同じ方を向いてる!!どうして?なぜ?これが第2の謎で〜す。しかもこのコ達には「狛犬むかしばなし」まであるのです。

 

ama-1.jpg (18022 バイト)「ここで問題提起れす!」


さて天城神社と八播神社!このニヶ所の狛犬を比較していただいていかがでしょうか?「他人(他犬?)の空似さ」と言きれぬ何かを感じてしまいませんでしょううか。そこで

@ このニ対はかなり似ている。だが天城の方がより少し稚拙か?但し身体には天城の方だけ小さい唐草模様が入っている
Aまたこの他にもこれくらいブサイクなコ達は存在するのか?
B八播神社の狛犬=宝暦13年(1763年)天城神社の狛犬=明和2年(1765年)とすると、八播神社の方が先行していると考えられるが、これはニ対が

 1)同一人物の作 2)模倣 3)偶然一致

単なる偶然の一致と言うのは、考えられないので、1か2になる。でも常識的に考えて、同一人物もしくは、模倣と言う結論になりそうです。


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むかしばなし

 

     tai0.jpg (10473 バイト)
その1
「弘法さんと狛犬」

昔むかし、天城ではどうしても上手く炭が焼けなかった。
そこで紀州から先生に来てもらって炭の焼き方を教わろう
と相談した。ある晩,名主の家に集まって相談をしてると
一人の百姓が言った。

「けんどなあ。山にゃあ山犬がたんといるぞ!」
「俺も椎茸ボタの見まァりに行ってな。何匹ものおっそろ
しい山犬につけ まわされた。腰が抜けそうだった」
「そうさなあ。わさび沢のまぁりぁしょっちゅう山犬が嗅ぎ
まわってらあ」

 炭を焼くようになれば、これまでよりも一層山へ入ることが
多くなる。なんとか山犬退治をする方法は、ないものかと村
の人達の相談は,炭焼きのことより、山犬退治のことになった。
だがいい知恵が浮かばず、しまいにはみんな腕をこまねき、
天井をみいてう-んと唸るばかりであった。

その頃何処からか旅姿の男が、名主の家に訪ねてきた。
「肩の筋を痛めたが、ここの山の湯が効くと聞いて湯治に
来た。納屋の隅でも泊めてくれないか!」
そう言う男の頼みを名主は心良く聞き入れ,食べ物の面倒
までみてやることにした。男は、毎日谷川に下り,岸辺に
湧くお湯に浸かり.一月ばかりのうちに肩の痛みもとれて
きたようであった。

元気になった男は、谷底から二日と半日かかって青いおおきな
石を2個と中位の大きさの石をひとつ。背負い枠で名主の
家の庭先へ担ぎ上げた。それからコツコツ槌とノミを振るい
上げはじめた。


石屋は、一心不乱に掘った。やがて大きな二つの石の中からは、
2頭のたくましい狛犬が現れてきた。

ある日ふっと石屋の姿が、村から消え、狛犬は、天城神社の
本殿の前にそなえられていた。
村人たちは、みんな。わいわいガヤガヤ鎮守の森に集まって
きた。その内気がついた一人が言い出した。
「2匹とも首が同じ方を向いてらあ」
「そうだ。間違っただな。石屋のやつ。間違いに気がついて
ゆんべの内に逃げ出したずら」
大方の村人たちは、粗忽な石屋を笑った。
「こんな狛犬ぁ、こわしてしまうべえ」
棒を手にした気の早いものもいた。けれども牙をむきだし、
ランランと輝く狛犬を見てさすがに手を出すものはいなかった。

「彫り違えた狛犬をいくら旅の恥じは掻き捨てでも、わざわざ
神サンの前へすえはしまい。よく見てみろ。こりゃ2匹とも
天城山の方へ首を曲げて睨んでいるぞ!」

ama-ma1.gif (9842 バイト)

考えふかげに言うものもあった。
しかし不思議な事にその晩から毎晩夜に聞こえてきたあの恐ろしい
山犬の遠ぼえが、ピタッと止んだ。それから誰言うとなく。
「あの狛犬が、天城の山犬を追っ払ってくれただあ」

そして紀州から市兵衛さんと言う先生に教わった炭を焼く青い
煙りが、天城の山裾や、中腹にいくすじも立ちのぼりはじめた。
石屋の行方は、それっきり分からないと言うことである。
めでたしめでたし!

      お わ り

『天城の史話と伝説』 天城湯ヶ島町文化財保護委員会編より


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天城湯ヶ島ってこんなとこ!


伊豆修善寺の更に奥の町、それが天城湯ヶ島です。かって
豆州天城湯ヶ島村金山(かなやま)は、金山として賑わっ
たところ。慶長2年(1597)大久保長安が、伊豆の金山
奉行にしたころが最盛期。全国から職人,商人が集まり、
遊女もいた賑わいだったとか。.....でも.....今は.....。
スッカリ!!そう言う町です。

ama-so0.jpg (6720 バイト) 町中は「発砲禁止」!

 

この当りは、野生の王国のようなところだけど。

 

そりゃあそうだろうね。いくらなんでも町中の住宅地でズド−ンはないでしょう。

ですから発砲禁止です。

 

ama-so1-1.jpg (9594 バイト)  

これがバスのダイヤ

 

でも今はスッカリさびれ果て...。昔、日本船舶振興会のCMで「一日一善」ってありましたけど。

ここのバスのダイヤは「一日一便」。

ああ、秋ですねえ!!

 

 

 

 

 



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