全国共通だよ〜〜ん!
いやいや、久々の第3弾!分類も少し遅れていたが、参道狛犬は、その地方、地方によっていろんなタイプがある。今回はその全国の地方編。しかしこの地方タイプもあのどのにであるしょうわの進出と共に今、地域差がなくなってしまった。これは文化破壊とも言える。悲しいことだ。これも分類しだすと切りがなくなり、一体どの程度の分布と数から分類するのか、大変難しい。ひたすら分類して行くと分類のための分類になってしまうのでこの位で留めた。それほどロ−カル.タイプはバリエ−ションが多い。
三 遊 亭 円 丈
【分類メニュ−】
【地方タイプ】
□東北編...・秋田狛犬・仙台狛犬
□中部関西編...・浪花狛犬・金沢逆さ獅子 など
□中国九州編...・広島玉獅子・出雲構え獅子など
□四国北海道....タイプなし
どれを?
□東北編
...青森構え獅子・秋田狛犬・仙台狛犬
青森構え獅子 (1860年代〜)
出雲構え獅子の影響だろうか、青森県では、四つんばいになった構え獅子を結構見ることが出来る。県下で50対前後はあるのではないだろうか。しかもどの構え獅子も妙に愛嬌のある顔をしてる。いや、青森県の狛犬は基本的に愛嬌のある顔のなのだろう。
|
|
江戸獅子山のように山を作りその上にではなくみな写真のように通常の台石の上においてある。
【猿賀神社】青森県尾上町猿賀 昭和5年(19030)--吽 |
青森も太平洋側は、かっての南部藩で旧津軽の方にこの青森構え獅子は分布している。
【黒石神社】青森県黒石市市の町 明治14年(1881)--阿 |
・秋田狛犬(1860年〜)
秋田では元々浪花狛犬や、出雲狛犬が、北前船で運ばれ、建立されていたものが、江戸末期に突然、筋肉質の全く違ったこの秋田狛犬が出現する。しかしそのルーツは、出雲尾立ちではないかと推測される。このタイプは大曲や、青森県でも見られ、かなり分布は広い。
|
|
このりりしい秋田尾立が、大好き。初めてこのタイプを見た時なんとなく大正以降かと思ったが、文久で驚いた。
【宝城院】秋田市土崎港中央6-1 文久2年(1862)
|
見た中で一番古いのが、嘉永5年。これは文久元年。タテガミの長い奴。
【古四王神社】秋田市児桜 文久元年(1861)石工倉田仁兵衛 |
・仙台狛犬(1740年〜現在)
塩釜神社の狛犬を祖にした仙台狛犬。少しづつ変化があるがその多くは蹲踞の姿勢でまっすぐ座り、両前足がわずかに前後して腹の下がくりぬかれてないことが多い。
|
|
この仙台タイプは、円丈が狛犬建立するとき、基本スタイルにしたほど。どれも素朴で味がる。
吽--「毘沙門天」仙台市若林区荒町 宝暦5年(1755) |
蹲踞タイプだが、良く見ると前足は木彫り狛犬のようにわずかに互い違いになっている。
阿--「大崎八幡宮」仙台市青葉区八幡4-5 安永3年(1774) |
□中部関西編
・浪花狛犬・金沢逆さ獅子
・岡山肥前焼・瀬戸狛犬 ・笏谷石狛犬
・金沢逆さ獅子(明治〜大正時代)
逆立ちとかまえ獅子タイプで一対。しかし、通常とは、ア・ウンの置かれるほうが逆になっている変則獅子。これのルーツと思われる江戸末期の狛犬がいる。残念ながらいまは彫られていない。
|
|
青い凝灰岩に彫られたこの狛犬。実際見るとウ〜〜〜ンと唸る。
【藤岡諏訪神社】石川県野々市市矢作3-
明治24年(1891) |
この逆さ獅子は明治の短い時期に作られただけのようでその建立数も分布も金沢市中心にごく狭い範囲のようだ。
【石浦神社】金沢市本多町3-1 明治24年(1891) |
・瀬戸狛犬(1300年代〜)
愛知県には、昔から瀬戸焼き狛犬が存在する。これは自分が窯元になった時、神社に自分で作った瀬戸狛犬を奉納するのが、慣わしだったようで。窯元の多くある神社には、かって拝殿にかなりの数があったようだが、戦後の混乱期にかなり盗まれ、それが一部骨董商に流れ、市場に流通したようである。
|
|
この神社にもかって数十対の瀬戸狛犬があった。
【八王子神社】岐阜県瑞浪市大川 天保14年(1843)
|
古いのはその殆ど盗まれ、比較的新しいのが数対残った。今は金庫にしまってある。
【八王子神社】岐阜県瑞浪市大川 明治36年(1903)
|
・笏谷狛犬(1400年〜)
福井市足羽山で産する笏谷石(緊密なややブル−かかった凝灰岩)で彫ったやや小型のオカッパ頭で正面を向いた狛犬。参道狛犬からすると極めて早い室町時代から作られ、江戸時代に入ると三国港から北前船で日本海沿岸の東北地方にも運ばれたようで時に見かけることが出来る。
|
|
笏谷狛犬とは、笏谷石で彫られ、しかも正面を向き、オカッパ頭の物を言う。30cmほど
【上ノ国八幡宮】北海道上ノ国町 建立年不明 |
笏谷狛犬は、小型が多いが、これはい1mを越すかなりの大型。
【気比神宮】敦賀市曙町 享和元年(1801) |
・浪花狛犬(1740年〜現在)
愛知県〜九州、東に日本海沿岸に沿って北海道まで広く分布している。橋本萬平先生の主張する"浪花狛犬(京系)は北前船で運ばれた"はほぼ実証されつつある。初期の頃はミカゲ石で彫られ、後期になると細かい彫りの出来る砂岩の浪花が多くなったようだ。
|
|
このコロッとした口のまわり縁取りが特徴。石は和泉砂岩。彫りやすくくずれにくいいい石
【糸井神社】奈良県川西町結崎 天保13年(1842) |
こちらはミカゲ石。浪花は殆どミカゲか、和泉砂岩。安山岩に彫られることは殆どない。
【秋葉神社】奈良県斑鳩町幸前 建立年不明 |
・岡山備前焼(1810年〜現在)
現在、岡山中心に120対ほど確認されている。かなり珍重されたものとみえ、東京の品川神社、千葉の金谷神社など関東に何対か確認されている。
|
|
この備前焼は20対程度みたが、良く見ると個性がある。【小島神社】岡山市原尾島1-7-39 建立年不明
|
この備前は中々の名品。中々焼きが良さそう。
【美穂神社】島根県美保関町美保関 文政13年(1830)
|
□中国九州編
・広島玉獅子・出雲構え獅子・出雲尾立
・久留米尾立
・肥前狛犬・熊本狛犬
・広島王獅子(1800年〜現在)
1800年の初め頃から、広島の尾道あたりから王獅子が登場。 広島を中心に中国地方で主に見かけるが人気が高かったとみえ、北海道の函館、小樽まで北前船で運ばれている。
|
|
1800年に入るいろんな格好舌狛犬が出てくるが、玉獅子もそのひとつ。
吽--「白神神社」広島市中区中町 昭和8年(1933) |
この玉獅子。私の見たのあ全てミカゲで彫られていた。
阿--「尾長天満宮」広島市東区山根町 昭和10年(1935) |
・出雲かまえ獅子(1810年代〜現在)
江戸獅子山とポーズが似ていて、出雲時代もほぼ同年代。どっちが元祖か本家は不明。宍道町で取れる来待石という柔らかい石で彫られているが、それだけにくずれ易い。北前船で各地に運ばれ、古い港の神社で良く見かけることがある。
|
|
日本海側の港町には、昭和以降もこの構え獅子が、建立されてる。
吽--「鴨御祖神社」島根県米子市尾高町 昭和37年(1962) |
円丈が見て確認される構え獅子の中では一番建立年度が古かった。中々の名品だ
阿--「玉作湯神社」島根県玉作湯町玉造 文政5年(1822) |
・出雲尾立(1800年〜現在)
これもかまえ獅子と同じ来待石で彫られ,北前船で日本海沿岸〜北海道、太平洋側の仙台あたりまで沿岸の都市でかまえ獅子と一緒に良く見かける。これも北前船で各地に運ばれて、良く見かける狛犬である。
|
|
出雲は尾立ちも構え獅子にしろ、どちらも足座がない。狛犬部、台石部分がハッキリ別れてる。セパレ−ツタイプ。
【外灘神社】鳥取県境港市外江町 昭和2年(1927)
|
この出雲尾立。古い時代の方が、ずうと雰囲気があり、すばらしい。だが崩れ易い来待石の出雲はあまり残っていない。
【白尾神社】富山県高岡市古城公園 文化6年(1809)
|
・久留米尾立(1700年代後半〜)
福岡県久留米市の甲良大社にある宝暦13年(1763)の狛犬を元にしてこのタイプが結構作られた。久留米ばかりではなく福岡県では割と良く見かける。
|
|
これが、祖となった久留米尾立。彩色してある堂々とした狛犬。
【高良大社】福岡県久留米市高良森林」公園 宝暦13年(1763)
|
これが、写しの方、福岡県にはこのタイプが、百対以上あるのでは?
【天満宮神社】福岡県久留米市東合川町 弘化5年(1848)
|
・肥前狛犬(1600年〜1750年あたり?)
1600年前後から作られはじめ、それは1800年代に入り、もっと狛犬らしい。立派なものが、出現してきて。この素朴な肥前狛犬は、姿を消していってようだ。これは建立年を彫らないのが通常のようだ。これを失われた狛犬という。日本全国にこの佐賀はじめのような狛犬はあるものと思われる。
|
|
この神社にもう一対肥前狛犬があるが、1600年代の制作とのこと。
【伊勢神社】佐賀県伊勢町9 建立年不明
|
この櫛田神社には、古い変った肥前鳥居があり、それを見に行って見つけた。
【櫛田神社】佐賀県神崎町神崎
建立年不明
|
・熊本狛犬(〜現在)
アゴなしのムックリしたタイプ。分布状況、出現時期、ルーツなど不明。九州、四国などの狛犬にはこのアゴなしタイプの狛犬を良く見かける。その後、熊本あたりの調査をしてないので相変わらず不明だ。
|
|
吽--「健軍神社」熊本市健軍町 昭和4年(1929)
|
阿--「加藤神社」熊本市熊本城内 昭和11年(1936)
|
□四国北海道
北海道の狛犬(その地方の定型タイプなし)
北海道には残念ながら北海道狛犬のようなものは存在しない。ある地方に定型タイプの狛犬が出現するためにいくつかの条件が必要。
(1)江戸末期〜明治あたりまでに定型化してない
(2)その地方タイプを形成するだけの充分な狛犬建立数と時間が必要。
(3)全国共通タイプが出現する大正以降では地方定型化ができない。
以上のことから北海道には地方タイプが、育つような状況になかったと言える。
|
これは網走で見かけた狛犬。分類しようがない。尾が立ってるから尾立ちとだけ書いた。]
【網走神社】
北海道網走市柱町2-
大正14年建立 |
四国狛犬(その地方の定型タイプなし)
四国は瀬戸内海を通じ、狛犬が絶えず入ってきており、浪花狛犬、広島玉獅子、出雲狛犬などの持込まれ、同時にそれらのコピ-も盛んに造られた。細かく見れば四国で彫られた狛犬の特徴はあるものの。四国狛犬と言えるほどの地方タイプはついにでいてこなかった。
わりと四国で見かける「浪花系あごなし」とでも言う狛犬。しかしコレだけで四国尾立ちと言う単独地方タイプにするには無理がある。
]【和霊神社】愛媛県宇和島市和霊町 安政7年8月吉日(1860) |
|
沖縄シ−サ−
シ−サ−は本来屋根の上に魔よけとしておかれるものなので参道狛犬ではないので。除外した。しかし最近、陶器のシ−サ−を神社の狛犬として建立するケ−スもでてきた。
◎狛研TOPに戻る
◎分類メニュ-に戻る
|