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【ごアイサツ】 |
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秋の例祭、盛大に開催・・・10月4〜5日 |
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神社役員総代ほか多数の参列を得て、翌日の神社例祭に際し、本殿の御扉を開ける(御扉開き神事)旨の奉告祭である宵宮神事が厳粛に執り行われた。 |
これが星野錦吾氏発案の綾瀬太鼓・・・10月5日 |
綾瀬太鼓は、神社総代長の星野錦吾さんの発案により、発足して以来、18年の歴史があります。綾瀬1丁目に拠点を置
き、神社総代が構成員に多く入っている。あと子供さんも多い。最近ではイベントや催し、武道大会の前座にお呼びがよく掛かる。 【威勢良く「綾瀬太鼓」の神社出陣太鼓】 |
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奉納品 |
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【拝殿の扇風機、各1台】 奉納者、赤城豊吉氏(綾瀬1) 鈴木洋行氏(西綾瀬1) 新加入された総代さんお二人からのご奉納です。地元抽選会の福引で、揃って見事引き当てた扇風機を縁起がいいからと、敢えて神社に寄進された。 総代としてこれからお世話になるので、その門出にとの思いだそうです。その赤誠相応の福が、別の形となって授かる事になるでしょう。仮に難生じても大難は小難に、小難は無難に。 |
(その3)
【 奉納、清掃奉仕・・誠の心】 奉納者、赤城豊吉氏(綾瀬1) 大庫正吉氏(綾瀬1) 神社総代の赤城豊吉氏と氏子の大庫正吉氏は折に触れて神社の清掃奉仕をされている。赤城氏は、神様に約束した清掃日には必ず早朝に掃いておられる。また仕事が大変で時間が取りずらくても、また、体がしんどい時でも掃き掃除に来られる。見習いたいものですね。 「神社の掃き掃除をさせて頂けるなんて、ほんとにありがたいことだと思うんですよ」との弁。立派です。 唐松宮司はお礼の代わりに日々の御日供に際し、「辞別祝詞」で啓導守護を念じているとか、これまた立派ですね。 また、「良い事は隠れていないといけないんだよ」と大庫氏は言われるが、敢えてご紹介しました。これが一回二回でなく、一年二年単位、更に赤城氏はもっとずっと以前からとか、ホントにありがとうございます。神社を代表して感謝、感謝! |
(その3)
【幣殿の五色立榊台の五色絹、一対】 奉納者・・岩崎弘恭氏(西綾瀬1) 全国一之宮巡拝貫徹の満願御礼と共に、その記念としてのご奉納です。神社例祭に合わせて、大前に奉掲致しました。 神社立替を奉仕した昭和50年以来、約30年ぶりの交換でとても美しくなりました。 |
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(その4 )
【拝殿参拝所の鈴緒】 奉納者、中島笑子氏(綾瀬1) 長年のご守護御礼として奉納頂きました。この度、綾瀬1丁目のうまし良き所を選び自宅を新築し転居されました。おめでとうございました。 |
【2003年3月号】
2月26日、これが個人・岩崎稲荷の「二の午祭」 |
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2003年新年用ポスター完成・・・・11月吉日 |
、新年元旦用、神社オリジナルポスターが完成 元旦初詣用オリジナル・ポスターが完成。今回はパソコンをフルに活用して作ったそうだ。七五三のポスターとは、また一味違った出来上がり! 製作者は、綾瀬1−35の責任総代、吉田 裕・智子ご夫妻。掲示板に貼る分の印刷は、コンビニでカラーコピーするそうです。原版を作るまではなkなか大変だったようですね。 早くも来年の初午(餅つき大会)や例祭などのポスターも既に企画中だとか、もう感謝、感謝!! 【 ・・そして綾瀬神社の元旦は】 ◎先着500名様に破魔矢、サービス ◎参拝者全員に甘酒もプレゼント。 ぜひ平成15年元旦は綾瀬神社へ初詣に! |
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その2
七五三の季節は「大菊花展」・・・・11月中 |
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七五三の季節は菊の季節です。 七五三にあわせ、境内に於いて、綾瀬菊花会のメンバーが、愛育した菊の鉢植えを展示しての、「大菊花展」(代表、清水
明 氏)を開催しています。 |
氏子岩崎氏、全国一の宮105社巡拝まであと一社 |
日本全国には一の宮が68ヶ国96社。更に新一の宮を加え全国105社あるそうです。その更に巡拝、
氏子で西綾瀬1在住の岩崎弘恭さんは、円丈著『参道狛犬大研究』を手にしたのを契機に神社巡りを始め、「全国一の宮巡拝会」にも入会したそうです。 そして今や、『全国一の宮御朱印帳』には104社の朱印が押され、完全制覇まであと一社!残すは沖縄の波上宮のみ。岩崎さんは「なんとかあと一社も今年中に参拝したい」とのこと。偉いなあ。 仏教界には西国33ヶ所、四国88ヶ所、秩父34ヶ所などがあるが、今後、こうした岩崎さんのように全国一の宮巡拝する心の旅をする人も増えそう。 ちなみに「御神印」とは今でいうスタンプラリーのようなもの。 【 『全国一の宮御朱印帳』ここに既に104社の御朱印が・・】 |
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その1
綾瀬神社の春祭り、盛大に行われる・・・・3月10日 |
綾瀬神社の春祭りが盛大に行われました。祭典後に年番の新旧交代とその紹介挨拶。続いて三峰講代参の籤引きが総代長の元で行われました。 籤引き後には、直会が賑やかに催された。 さて、そのクジ引きは、江戸時代より、和紙を紙捻(こより)にしてあるものを、講員が一人ずつ、講元の召し立て(呼び出し)に従い、クジを引いていくのを慣例としてきた。こよりの先に、代参の文字が書かれていたものを、引き当てた者6名が、5月中に都合の良い日を選んで、日帰り参拝する決まりである。 代参者は先ず、氏神さまを拝した後、埼玉県の三峰神社へ出発する。帰って氏神さまにお礼参りをした後、総代長に上奏し、次に講元宅に三峰神社から頂いてきた講社のおふだ類を届けて、代参は終わるのである。三峰神社参拝が終わるまでは、アルコール類は遠慮する決まりが今も厳然と残っている土地柄だ。 かつて代参して受けてきた御神札を、昼食を食べたところに忘れてきてしまって、翌日再びそれを取りに三峰山に行たったという、うっかり話も記録に残っているという。それって一体全体、なんの為の代参だったんだ! |
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その2
2002年3月
これが綾瀬神社、新年番さんご紹介 |
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・年番長(総代)は、嵯峨野 弘氏。 |
これが 綾瀬神社オリジナル絵馬 |
綾瀬神社では毎年秋祭りに時、家内安全・商売繁盛を祈願する絵馬が特別授与されます。当綾瀬神社、社頭の図をデザインしたもの。 【原画は宮総代の小菅久芳氏(綾瀬1−2) 絵馬印刷、吉田智子(さとこ)氏(綾瀬1−35)】 |
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綾瀬神社のしょうわ狛犬 |
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【狛犬タイプ・・素しょうわ】 昭和50年10月建立 奉納 氏子中 白ミカゲ石製。この綾瀬神社の新社殿の時に建立された。このしょうわと言うのは、昭和以降、このしょうわがもっとも多く造られたタイプ。 この玉も子獅子もないタイプを素しょうわと言う。数あるタイプではあるが、出来は良い。(円丈) |
綾瀬神社の基礎知識 |
【元の社名は氷川神社だった!】
当綾瀬神社は、元は氷川神社と言い。本社は埼玉県大宮の氷川神社。武蔵野国の一ノ宮でその御神徳を仰ぎ、明暦5年(1659)7月27日村の草創時に一ノ宮氷川神社から勧請しました。また合祀した胡録神社は氏子区域にもう一社あった神社で宝暦5年3月10日の御鎮座との社伝があります。こちらは疫病退散を祈願する神社でした。今も3月に春季祭(鎮花祭)と称して祭事を執り行っております。
昭和50年の建て替え時にこの胡録(ころく)神社を合祀し、現在の町名「綾瀬」をいれて社名を「氷川神社」から「綾瀬神社」に変更致しました。
ちなみに全国に氷川神社は261社あり、そのうち埼玉県に162社あり、東京には68社。ほとんどが関東です。
【氷川神社のご祭神は?】
武蔵の国造(くにのみやつこ)を勤めた武蔵氏一族は、元々、出雲氏の分派ですから出雲大社の神様である須佐之男命(すさのおのみこと)を親しく祭った訳です。
【氷川の由来と御神徳は?】
出雲の肥川に由来し、現在は斐伊川と呼ばれているこの川から来ています。 昔、暴れ川は霊川(ひかわ)とも呼ばれ、聖なるものとされました。ですから旧来の元荒川は畏敬の念をもって氷川の神様として年々信仰が深まっていった。つまり農業開拓の神が氷川さまです。
【氷川の御神徳は?】
中世には武士の守護神としても篤く尊崇されて、いよいよ関東に根付いたといえます。ちなみに祗園(八坂)さん、天王さん、津島さんなどの神社は、皆、同じ神様を祭神としています。愛知県津島の津島神社「津島のお天王さま」の社殿は、織田信長や豊臣秀吉の寄進です。建築的には春日大社と同じく敬避作りで神社の正面に衝立が立っていて参拝者は、神前に向かって正面からまっすぐに進めないようになっています。神前正面を敬い、避けた訳です。
【天王さんという呼び名は?】
津島神社、氷川神社や祗園さんも疫病厄除に霊験新たかな神社で元々は牛頭天王(ごずてんのう)という外来の厄病神・疫病神を鎮めるために京都で祗園会(ぎおんえ)が始まり、次第に須佐之男命が習合され、いつしか、祗園さん(八坂さん)や天王さんとはいうものの、神仏の神のみが著名になっていったとされています。
御祭神は御同体ですが、筋としては氷川は出雲で、祗園さんは神仏習合の社といえます。同じといえば同じです。合祀した胡録神社が疫病調伏の神社でやはり氷川神社に合祀されていく御神縁は摩訶不思議。人智の及ばぬところにあるということでしょう。
綾瀬神社ご案内 |
ご創建とご由緒 |
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社伝によれば明暦5年(1659)7月27日、人皇111代、後西天皇の御代。徳川4代将軍家綱の世と伝えられいる。この地は、水戸・佐竹氏に仕えていた人々が拓いた地。その鎮守として氷川神社を勧請し、創建された神社である。 その村の草創は星野家・根本家・吉田家・田中家・伊藤家などで始められ。星野家は三軒並んで今も建ち並び、星野御三家という別称もあるほど。氏子区域は 現綾瀬1丁目地区と西綾瀬1丁目地区。 昭和47年2月までは近くにあった胡録神社を昭和昭和50年の社殿造営の時に合祀し、社名も綾瀬神社と新しくした。 |
綾瀬神社 (旧氷川神社) | 足立区綾瀬1−34−26 伊藤谷本町356(伊藤谷村第5大区小ノ18区) |
御創建 | 明暦5年(1659)人皇111代、後西天皇の御代。徳川4代将軍、家綱の世。 |
御祭神 | 須佐之男命(すさのお の みこと)
淤母陀琉神(おもだる の かみ) |
神社の神紋 | 左三つ巴紋 |
境内末社 | 稲荷神社 三峰神社 |
TEL | 03-3690-4723 |
交通機関 | 最寄り駅(営団千代田線 綾瀬駅 駅南口より、徒歩3分) |
恒例の祭典と年中行事 |
1月1日 |
歳旦祭(さいたんさい) | 年頭に当たり天下平安と氏子の幸福を願う |
2月初午日 | 稲荷神社初午祭 | 毎年盛大に行われれる。餅つき大会あり |
3月15日 | 春祭り | としごえのまつり。春の初めにあたって五穀豊穣と天下安泰を祈る |
10月第1土日 | 秋祭り | 年二回行い、罪、穢れを払う儀式 |
11月1〜15日 | 綾瀬菊花展 | 平成13年より、はじまった行事(菊花会主催) |
11月吉日 | 753祝祭 | 歳子供の健やかな成長と健康を感謝、祈念します |
12月26日 | 新神札授与 | 歳1年の穢れを払い、新しい年を迎えます |
綾瀬神社の建立史 |
建立年 | ![]() |
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宝暦年間(1751〜64) |
社殿建立 | |
文化年間(1804〜18) |
修繕・改築? | |
天保14年(1843) |
修繕・改築? | |
安政6年(1859) | 修繕・改築? | |
昭和2年(1927) | 本殿の建立 | |
昭和50年(1975) | 本殿の建立 | |
昭和50年(1975)10月 | 狛犬建立 | |
(綾瀬神社全員集合写真) |
綾瀬神社責任総代 |
総代長 | 星野 錦吾 |
副総代 | 根本仲男、星野広、吉田裕、吉田政司、田中勘三郎 |
宮総代 | 26名 |
今昔氏子区域 |
綾瀬神社地図 |
綾瀬三社とも駅より、3〜4分です!
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