5回奉納まねき〜まねきその1.その2〜

 【「まねき」?えっ、「奉納まねき」?なに?それ!】

 まあまあ、「まねき」だよね。はっきり言って私もよく知らない。しかしこのページを読めば分かる。まあ、「奉納まねき」って噺家が、配る手拭いのようなものとも・・・かなり違って・・・まあ、綾瀬稲荷の唐松宮司さんにざっとした説明を聞いてあるから。とにかく先を読んで!!

   三遊亭 円丈


◎まねきその2
◎まねきその1

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【ついに見つかった3千年前のまねき・・そんなことないよね】



【そもそも「まねき」とは?】
 
「まねき」とは、講紋や講名を記した講旗のこと。木製や紙製もあるが多くは布製でもめんがほとんど。今のバスガイドさんが団体旅行の時に手にするものに似ている。富士登山する時には、このまねきに竹をつけて旗のように講員の目印とした。辞書には「のぼりの一種・・、竿頭に絹一幅半幅を付け、短小なるを俗にまねきといい、長大なるを吹流という云々」とある。

【まねきの種類】
◎大まねき
 自講の存在を他講へ示す立派な錦地で作った飾り立てたものを「大(おお)まねき」と呼んだ。

◎奉納まねき
  綾瀬稲荷神社の境内には
昭和2年に築造された綾瀬富士があり。昔から「浅間詣で」といって富士講の人々が各所の富士塚を巡り、その時に「まねき」を奉納した風習があり、これを「奉納まねき」と言います。

講にも派閥のようなものが・・

 それを講にも派閥みたいなのがあって、富士講の主力は、丸藤講(まるとう)である。そのほか、丸参講(まるさん)、山吉講(やまよし)などがある。ここでは、「奉納まねき」という種類のものをご紹介します。種別的には、元講が枝講に配ったもの。同じ講社に奉納したもの。異種の講同士が親睦を深める為に配ったもの。個人や組が献納したもの。他宗の講中から奉納されたものなど多岐にわたります。
  
説明・・唐松宮司より聞く





〜まねきその2〜
 奉納まねきコレクション

もう大好評のまねき。今回は第2回!足立区の丸藤講のまねきを全公開と言っても5枚だけだけど・・。(円丈)


【1】千住の丸藤一心講のまねき


 奉納は昭和30年代。67×33センチ。今から40年以上のまねき。保存状態も良好だね。
 

【昭和30年代、今から40年以上前のまねき】


【2】千住大川町の丸藤講のまねき。


 奉納年は昭和30年代。60×30センチ。この講中は、立派な大まねきを所蔵している。



【シンプルなデザインでいいなあ】


【3】丸藤の元講


新宿区早稲田の高田宮元講のまねき。

奉納年は昭和30年代。54×33センチ。

 



【4】千住の丸藤元講社のまねき


 奉納は昭和44年7月。63×30センチ。

  現在の五反野の先達、柳川峰造氏の伯父である重之助(行名、藤行)氏の没後20年の記念に作ったもの。
 
祖父の栄蔵(行名を諸行)氏も先達だった。

【なんだかありがたそう・・。】


【5】西新宿成子の丸藤講のまねき



。奉納年は昭和30年代。57×30センチ。



【少し変色している。それがまた時を感じさせる】

もっと「まねき」を知りたい人は

 山梨県の富士吉田市の郷土資料館には、300枚以上の多種多様のまねきが収集、保存展示されている。興味のある方は、足を運んで来て下さい。 では、さっそく見ていきましょう。




〜まねき1〜
 奉納まねきコレクション

 今回は選りすぐりの「奉納まねき」を紹介します。綾瀬稲荷神社の富士講のまねき2枚を入れ、計5枚の奉納まねきをどど〜〜んと紹介。5枚じゃどど〜〜んと言うほどでもないか?(円丈)

【1】現在の綾瀬稲荷の富士講のまねき


 まず二千年を記念して平成12年7月に作った綾瀬稲荷の富士講のまねき。寸法は、87×34センチ。同年4月に狛犬を奉納させて頂いたご縁から、下段左側4人目から、私円丈と妻の名前や石工さんたちも入っています。


  綾瀬稲荷神社の富士講は、山包講(やまつつみ)なので、傘印は絵柄のようなものである。昨今では、富士浅間神社の元講一覧では、山包(やまつつみ)講中での元講に、綾瀬稲荷神社が指定されているとのこと。

【いや私や、家内の名前まで入ってるとか全然知らなかった。恐れ入りました。ヘヘ〜〜ッ!】


【2】綾瀬稲荷の富士講のまねき鬼  鬼に片棒


 
綾瀬稲荷の富士講のまねき。昭和33年奉納のもので、寸法は、62×35センチ。画像には五兵衛町講と見える。このまねきはその筋では、超有名で、岩科小一郎氏の名著『富士講の歴史』などにも、山包講のまねきとして、選ばれて掲載されているほどの一品。さて、神社によっては、目立つようにと様々な色合いのまねきを作っているが、当社山包講は、紺色を基調に作成する。

  その訳は、紺色は藍で染め上げる関係で、虫除けになり、尚且つ汚れも目立たないからという事で、富士登山や浅間詣での折など道中の利に叶うので、願い事も叶うだろうという縁起を担ぎ、必ず、紺色地に仕上げる決まりが今に堅く残されている。


【3】千住の丸参講社のまねき


  千住の丸参講社のまねき。奉納年は昭和30年代。寸法は、50×33センチ。 この講は、北区滝野川の丸参伊藤元講の枝講として発足した組織。

  世話人の中に、吉野平八という人がいるが、下谷中の神社総代長、吉野平八氏の分家の同姓同名の呉服商を営む別人。


【横に棒を通して真ん中でヒモで吊る。考えると時代劇で茶店でひらひらした手拭いのようなものはこの「まねき」だったんだ。知らなかったなあ】

【4】 千住の茶碗講のまねき



 千住の茶碗講のまねき。奉納年は昭和40年代。寸法は、54×33センチ。栃木県鹿沼市の古峯神社へ参拝する講の集団のもの。


  明治8年の記録によれば、代参の時に茶呑茶碗を若干、神社に奉納する為に付いた通称講名とあり、起講は万延元年(1860)。現在は物品でなく茶碗料として別途奉納しているそうだ。


【5】 江戸消防記念会の第11区2番組の「奉納まねき」


 

 江戸消防記念会の第11区の2番組の奉納したまねき。奉納年は昭和50年代。寸法は、54×33センチ。足立区の鳶職の集まりである、第11区・筒先連中が千社札代わりに諸所に奉納した。


  鳶の職分は、組頭・副組頭・小頭・筒先・道具(まとい・はしご・若衆)に分かれている。同区の木遣り歌節を練習する会は、北聲(ほくせい)会という。ちなみに、木遣り歌は、座敷・流し(道行)・祝い・車(纏を振る時)・不祝儀という種類がある。

【しかし祝儀、不祝儀と色々種類があるのはさすが鳶の頭だねえ】


もっと「まねき」を知りたい人は

 山梨県の富士吉田市の郷土資料館には、300枚以上の多種多様のまねきが収集、保存展示されている。興味のある方は、足を運んで来て下さい。 では、さっそく見ていきましょう。


 ・・・・てなことで次回は「まねき2」として更に秘蔵まねきをご紹介〜〜〜っ!!
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