〜河北先生による〜 |
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【片言隻辞集】 ◎其の19 お彼岸の墓参 ◎其の18「報謝の賽銭」 ◎其の17「何事も濃く」 ◎其の16「輝き」 ◎集成其の「余韻」 ◎集成其の心得事(急) ◎集成其の心得事(弐) ◎集成其の心得事(壱) ◎其の11「真髄」 ◎其の10「横山大観」 |
◎其の9博愛と精神」
◎其の8「人格向上の道」 ◎其の7「煙草(たばこ)の火」 ◎其の6「人生とは?」 ◎其の5「本当の名人とは?」 ◎其の4「お賽銭の額は痛いぐらいが..」 ◎其の3「大は小を兼ねる、しかし...」 ◎其の2「重き、軽くは軽く」 ◎其の1「ものには"ころ""かげん"が.」 |
(右は稲荷神社の紋だよ) |
片言隻辞 集成
其の19 お彼岸の墓参
間もなく、春のお彼岸が参りますので、基本的な墓参の心得を伝授申し上げます。
一、 午前中の墓参は避け、午後にお参りをすること。
一、 神道式・基督教式等宗派を問わず、色華を献ずること。
一、 親しい間柄だからと言って、悲しみ過ぎたり、何度も行き過ぎないこと。
一、 墓地では転ばぬよう注意する事。
一、 墓参の帰り道には、食堂などに立ち寄ってから家に帰ること。
但し、神社の境内に入るは、凶を招くので絶対に避けること。
処によっては、神社と寺院が隣り合わせになっていたりするので要注意である。
其の18 報謝の賽銭
お賽銭を入れる時の手の向きは、大切です。新年・諸社寺を参拝するにあたって、
心得て置きたいものです。御利益について、神仏は授ける側で、人間は受ける側です。
これを弁えて置く事も大切です。手の向きにも、この違いがあるのです。所謂、「授け手」と
「受け手」です。お賽銭を入れる時は、手の平を上にした形で、「よろしくお願い致します」
と、あたかも、神仏の前に差し出して、そっと置くように、感想しながら、納めるのです。
テレビで、各地の初詣が放映され、上投げで思いっきり投げつけている人を見受けます。
神様に願いが届けとばかりに勢いよく投げているようですが、手が逆ですから、願事は
通達しません。あれは、馬鹿者です。人にあたったりして大変です。年頭から神前での
罪作りです。いいことありません。混雑の中を、我慢して我慢して、大前に参進して
納めてこそ、吉福を得られるのです。そういう努力や真心を、神仏は汲んで下さります。
また、地元の氏神さまを、大事になされることは、大吉です。東京などでは、
「初詣は氏神さまから」という神社のポスターをお見受け致します。誠にその通りです。
また、三ケ日に初笑いすることは、大切です。円丈師匠の出演情報は、要チェックです。
片言隻辞 集成
其の17 何事も濃く
何事も内容は濃くすべきです。人生も同じです。
充実させなければいけません。時は、あっという間に過ぎ去ってしまいます。
「誰が死んだ、彼が死んだと言ってるうちに、
お前も死んだと人に言われる」ということです。
国や地域や親、そして神社に奉仕されることは、
それらを濃くする一助になります。個人的には、自分
の「死」を目の前において、悔いの無いようにさせて頂く
べき事を、させて頂けば良いのである。
片言隻辞 集成
其の16
輝 き
一生懸命に打ち込んでいる姿は、人として輝いているのです。
輝いている人が、奇麗なのです。美男美女が奇麗なのでは、決して ありません。
それは、容姿ですから、端麗なのです。ほんの端っこです。
うらやむような問題ではありません。もっと大事な本題が、人間にはある のです。
美しさの真意を履き違えないようにして下さい。
人は皆、自分を磨いて光を放たなければいけません。
まばゆいばかりに、命の輝きを放つ人に成って下さい。
心配は要りません。 誰にでも出来ることです。
曇りがあっては、何事もいけないものです。
其の余韻
余韻を残すことは、何事においても大切です。
余情といい、余光という。なんともいえず良いものです。
心に残す、言葉の一つに加えて下さい。必ず役立ちます。
太鼓や鐘の音は、心にいつまでも響くものです。参考になさって下さい。
お料理でも「あと味」がある。
料理に携わる人は、ここに主眼を置いて 一生懸命こころを込めて作らば、良い食事を楽しめるものである。
円丈師匠は、高座に上がる時には、お客さんに落語を通じて、
笑いの、感動とその余韻を与えられるよう頑張っているそうです。ご立派。
8月末に新作落語のCD発売を記念した落語会を東京の国立演芸場で催されたとの由。
古典落語のCD全集は、数々あれど、新作落語は本邦初なり。
必見必聴のCDと心得られたい。 第1巻、こころ豊かに笑えるものなり。
心得事(急)
其の
人として |
人としての心得 |
人として心得て置かないといけない事は |
素 直 |
人として |
一つ、「入った所から出る」 |
一つ、何かを頂いたら何かをお返しする。 |
一つ、仮借したら、助かった想い分を上乗せして還す。 |
其の11
真 髄 |
其の10
横山大観 |
其の9
博愛と精神 |
人格向上の道 |
人格を磨くということについて、一筋の光明を与えましょう。どうすれば、自分の人格を高め、自身を
磨くことが出来るのか、誰にも出来るものを、謹んで伝授させて頂きます。「人を想いやる、やさしい心」 を常に自分の心の中に留めるようにすることです。この想いは、貴重です。
自分を幸せに必ず導い てくれます。遥か彼方の高みにある扉をも開いて、至高の世界にも誘われる資格を有するに至ります。 それは、幸せな心に包まれて、ありがたいなぁと、喜びの涙に噎(むせ)ぶくらいの感動があります。
幸せはお金ではありません。お金をいくら積んでも買えないのです。自分で手に入れるしか道は無いの です。
この獲得の術も上記と同じなのです。人は皆、幸せになれるのです。どんなに苦しい状況下に あっても、「人を想いやる、やさしい心」が持てれば、幸せへの道は開かれ、感謝することが出来るので
す。相手の立場になり、相手の年齢を思い、相手の体を気遣うなどして、常に相手のことを想いやる訓 練を通して、やさしい心を身につける事が、人格向上の近道です。間違いありません。
寄り道をすることはありません。やめときましょう。人たるもの、正しい道をまっすぐ前に進むべきです。
其の7
煙草(たばこ)の火 |
感謝するということを理解していない人間は、知らず知らずに、そら恐ろしい行為を犯してしまうものです。
円丈師匠が労をとられている、この神社のHPを見る御縁を得た者は、幸運といえましょう。素直に受けいれ られる者には、外(そ)れるを直し、外(はず)れるを引き戻す価値を見出せるからです。
大事なものは、大事にしなければいけません。人類の進歩の元は、火の発明といわれます。煙草を吸う時 何が必要でしょうか?無いと困るものは何でしょうか?答えは、火です。どんなに高価な葉巻があっても、火
がなければ、のめないのです。ここが、ポイントです。歩きながら、タバコを吸う。ここまでは良いのです。
次、 吸い終わり、前方に放り投げ、足で踏み消している光景をよく目にします。吸う前には、無いと困る、大事な 火を、用が済んだら足で踏みにじる。人の道に外れる行為です。速やかに改めるべきです。タバコの吸い殻
を棄てないようにしましょう。は、本来、火に感謝しましょう、です。感謝の心が伴っていれば、棄てるような事 はせぬものです。円丈師匠も、私も、ありがたくタバコをいただきますが、煙管(キセル)やパイプでタバコを
のむ方は、火を今でも大事にされます。キセルで刻みタバコを吸う、円丈師匠ゆかりの石定さんもそうです。
吸う行為の中に、火に対する感謝が自然と見て取れるのです。神社では、大祓式といって、犯した罪をあが なう行事がありますが、自覚して犯す罪は意外に少ないものです。逆に自覚していない罪、要は感謝が足り
ないが為に、犯してしまった罪が人間には多いのです。上記のような行為、こういうものを、「知らず知らずに 犯せる罪」というです。気を付けたいものです。
【ご注意】 本項を読まれる方は、御自身でもさっと読み過ごすこと無く、深く、行間を読むようになさって下さい。本項は、 浅く読めばそれまでです。深く読むよう注意なされれば付随したものが得られるものです。 今後、「感謝」というものにスポットをあてて、掘り下げて考えてみたり、していきたいとも考えています。 |
其の6
人生とは |
人間として生まれいでた者が、その一生においてやらなければいけないことは、自分の人格を高め、自分を磨いていく事、これのみである。年少の頃には勉学に励み、その一助となすのである。高学歴を目指す為に、勉強するのでは決してない。勉学で身を立てる者もいるが、多くは就職活動をして、いろいろな職業に就き、仕事の中で、様々な経験を積み、自分に磨きをかけるのである。結婚に焦ることも全く無い。子孫を残すことが人間の進むべき道ではない。
婚姻を結び、子供を授かるという事は、人生の目標には成り得ないのである。結婚するのは、自分自身を高める勉強をする為にするのであるから、親にならずとも、親の気持ちを汲めるように、自分を磨ければ、結婚したのと同等の価値は持てるのです。保母さんでも、子供を育てる親の苦労を勉強出来ます。ですから、人間の人生は面白いのです。人生辛く寂しいときも、悲観する必要もありません。
苦しい時は、自分を磨く一番の好機到来なのです。ですから、「艱難(かんなん)、汝(なんじ)を玉にす」というのです。
円丈師匠は、落語という道で自分を磨き、昨今は狛犬という新しい道を開拓されて、更なる自分の 高みを目指されておられる。人間という山の頂上への、人生という登り道は、決して一本ではないということを円丈師匠を見て、参考にされたい。人間という山は、自分自身の人格により、富士山のようにもなるし、公園の丘程度にもなってしまう。人間として、この世に生まれ出でたる者は、高みを目指すべきである。すべては、自分自身との闘いと心得るべし。この程度で良いと止めるのか。まだまだ上だと思うのか。転んだら、這ってでも上を目指して下さい。
最後に一言、人格を磨け!
おまけ:大入り袋、真の意味 |
本当の名人 極めた名人とは、百発百中の弓の名手ではなく、不射の射を放つ者である |
又、百戦百勝の剣術家ではなく、無刀の刀を振るう者である。世の中、上には上がいるものであるから、これでもう良いと満足することなく、常に見えない相手と高い目標を目指して、努力・精進怠らぬ事こそ誰もが進むべき人の道である。
世に名人として、人間国宝の認定者は、芸道の深淵を伺い知りて、口をそろえて、一生勉強だとか、修行に終わりはないと言う。何事においても、一生では足りないと思うくらいの者になることこそ、本当の、名前を親より受けた人の道である。
自身の歩んでいる道は、一生勉強だなと、感じている人は既に「人となり」を遂げた達人と言える。
註、「人となり」はー成人ーと書く。 註、一例、不射の射(見えざる矢を無形の弓につがえて)を放った者ー紀昌。 師曰く。至為は為すなく、至言は言を去り、至射は射ることなし、と。 註、一例、無刀の刀を振った者ー宮本武蔵。 |
其の4
お賽銭の額は、ちょっと痛いなと思うくらいがちょうど良い |
お正月は、どなた様も神社・仏閣に参拝されますでしょうから、一言申し上げます。お賽銭は、御縁があるようにと、5円で良い。などとバスガイドさんは、神社参拝の前に、必ず説明するが、あれは単なるこじ付け・語呂合わせであって、信ずるに値しない。かえって、5円でお願いを聞いてもらおう、守ってもらおうだなんて、欲深いとしか言えない。
円丈師匠は、綾瀬稲荷神社に、ウン百万円の資財を出されて、落語と狛犬の繁栄を心から願い、立派な獅子・狛犬を奉納された。あの姿勢こそが、神様や狛犬に通じるのである。親思う心に勝る親心、で円丈師匠が想う以上に、狛犬もまた師匠の事を気に掛けてくれるようになるのである。上記の言葉は、深遠にして意味深い。
表面上は賽銭の額で顕わしているが、万事に通じる言葉である。よ〜く、お考えあれ! ちなみに、心有る方は、賽銭が小銭であっても、ピカピカのものにしたり、小さなのし袋に入れて納めている。お札であれば、流通している旧札ではなく、わざわざ新券に両替して賽銭箱に入れている。
これこそが、真に、神様に通じる誠の信心であろう。
大は小を兼ねる。 しかし、小は大を兼ねない |
其の2
重きは重く、軽(かろ)きは軽(かる)く |
其の1
ものにはすべて「ころ」「かげん」がある |
◎いやあ、ホントにためになる。今後、ドンドンこの片言隻辞集は追加予定。期待に胸ふくらまませて待つべし!